戦争論 レムラム版
 東の戦略論が『孫子』とすれば、西の戦略論は『戦争論』といわれます。『孫子』には、「己を知り、敵を知れば、百戦危うからず」など、私たちもよく知っている言葉があります。しかし、『戦争論』を読んだことがあるという人は少ないでしょう。

 カール・フォン・クラウゼヴィッツが書いたこの本は、難解なことで知られます。日本語訳が悪いという人もいますが、アメリカ人でも難解だと評されているので、原著自体がむずかしいと考えるべきです。「軍事を勉強する上で、やはり『戦争論』は読んだ方がよいのでしょうか?」という質問を耳にすることがあります。また、『戦争論』の「戦争は国家政策の継続である」という一文だけを聞いてすべてを知った気になり、「『戦争論』は戦争を推奨する悪書」と批判する人もいます。そこで、ここでは神学的なクラウゼヴィッツ論は避け、こうした素朴な疑問について考えます。

 戦争論が書かれた頃は、陸上戦闘に大きな影響を与えた機関銃もなく、移動手段といえば徒歩と馬だけでした。現在のように、車両からロケットまで、様々な移動手段があり、強力な火砲や核兵器がある現在とは状況が異なります。『戦争論』で「戦力の集中」といえば、徒歩や馬で兵力を動かし、戦術上有益な場所に兵を配置することだけを意味しました。舗装道路というものがない当時、道路状況は戦術上の重要事項でした。道幅だけでなく、ぬかるんでいないかといった状態も兵の移動に大きく影響するのです。このため、『戦争論』を読む時は、現在の軍を連想しながら読むと誤読するため、当時の軍隊を連想する必要があるという手間があります。私たちが手っ取り早く知りたいのは現代の戦争ですから、現代戦について書かれた本を読んだ方が話が早いのは間違いありません。

 『戦争論』を読むべき理由は、おそらくは戦争全般について述べた最初の本だからです。クラウゼヴィッツが書いているように、それまでは戦闘の手法について書く試みはあったものの、戦争全体を説明する書物はなかったのです。クラウゼヴィッツははじめてそれをまとめたのですが、彼自身、戦争には精神的な面も多々あり、戦争のすべてを体系的に説明することはできないと、限界についても述べています。それはともかく、米軍のフィールド・マニュアルは、兵器の操作方法から部隊の運用方法まで、戦争のやり方は細かく記述していますが、戦争全体について説明する巻はありません。

 そこで、それについて集中的に述べている第1編「戦争の本質について」だけを読むことをお勧めします。全部を詳細に読もうとすると、クラウゼヴィッツ・マニアと化すほどの努力が必要ですが、第1編だけなら百ページを切るのでどうにか読み切れますし、十分な内容を含んでいます。ちなみに、「戦争は国家政策の継続」も、この中に書かれているので、これを戦争の推奨と受け取るのがとんでもない誤解であることが分かるはずです。第1編を読んだら、その内容を活用して戦争を分析すれば、戦争観を養うことができるでしょう。第2編以降は、読みたくなったら読めばよいのです。最低限の苦労で有益な部分を効率よく吸収するのがポイントです。

 お勧めする『戦争論 レクラム版』は、日本語訳の中でもっとも読みやすい本です。第3編以降には省略されている部分もあるので、全訳版ではありません。しかし、現在、すべてを読んでいる人はほとんどいないのではないかと思われますから、十分な内容だといえます。 (2006.8.25)

 

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