史上最大の作戦
遙かなる橋
ヒトラー最後の戦闘
 もう古典書に入るかも知れませんが、戦記作家のコーネリアス・ライアンと、彼の三部作について触れないわけにはいかない気がするので、取りあげることにしました。

 コーネリアス・ライアンは、ジョン・トーランドと並んで、第二次世界大戦の戦記作家のカリスマです。「史上最大の作戦」と「遙かなる橋(映画名は「遠すぎた橋」)」「ヒトラー最後の戦闘」は、三部作として有名です。そして、「史上最大の作戦」と「遙かなる橋」は映画化され、スペクタクル戦争映画の一翼を担う存在となりました。私が最初に彼の作品に出会ったのは、確か「リーダース・ダイジェスト」という月刊誌でした。この本にダイジェスト版が掲載され、最初にそれを読んだのだったと記憶します。その後、完全版も読み、強い興味を覚えました。日本語で書かれた戦記は体験談風なのが多く、この本のようにジャーナリズム的な視点で、大勢のインタビューから事件を再構築してみせるのは新鮮な体験でした。以後、この種の本を随分読んだものです。


史上最大の作戦

 いうまでもなく、ノルマンディ海岸への上陸作戦(オーバーロード作戦)を描いた本です。あまりにも有名な作戦であるため、現在では他にも本が書かれていて、この本では謎だっことが解き明かされたりしています。たとえば、作戦で使われた暗号名が、あるクロスワードパズルの問題に多数出題されたため、パズルの作者が事情聴取を受けた事件がありました。なぜ、作戦のことを知らないパズル作者が暗号名を出題したのかには理由があったのです。「史上最大の作戦」は、ノルマンディー上陸作戦に関する最も有名な本ですが、その後に続く戦闘よりも、上陸の日に焦点が当たりすぎる問題の原因を作った本かも知れません。

 実際、これだけの作戦を実行するには、補給の計画を立て、実行することが不可欠ですが、この作戦は必ずしも補給が成功したとは言えません。暴風雨で沖合に作った艀からの陸揚げが部分的に行えなくなり、急遽、船や水陸両用車の輸送で切り抜けています。補給不足はある程度は前線部隊が対応できますが、一定水準を超えると作戦の実行の障害になります。この作戦では、それに至らなかったので成功できたのでしょう。この作戦の構造は非常に単純で、分かりやすいものでした。

 映画「史上最大の作戦」をDVDで観賞するのなら、廉価版ではなくアルティメット版をお勧めします。この作品の面白いところは、戦場シーンの多くを実際に戦場になった場所で撮影していることです。その戦場をプロデューサーのザナック自身が案内して回るドキュメンタリー映画(他1本)が付属しており、美しいノルマンディー海岸の空撮映像が収録されています。その中に「プライベート・ライアン」に登場する軍人墓地も含まれています。


遙かなる橋

 最も規模が大きい空挺作戦の一つ「マーケット・ガーデン作戦」を描いた作品です。空挺部隊で5つの橋を占拠し、一気に進撃しようと考えたものの、ドイツ軍の抵抗が激しくて進撃できず、空挺部隊が孤立・包囲されて失敗したというものでした。それも、地上部隊の存在を示す証拠が出ていたのに、それを無視したために失敗に終わったのです。オランダを解放したのはよかったけども、そのために空挺部隊が犠牲になり、寄り道をしたためにソ連軍がベルリンに先に到達するのを許し、東西ドイツの分断を招いたともいわれています。しかし、成功していればドイツ軍の強力な戦線を迂回できたといわれています。何週間か爆撃を行い、機甲部隊を消耗させてから実行していれば成功したのかも知れません。

 この本もまた、関係者へのインタビューを元にさまざまなエピソードがちりばめられており、興味深く読めます。また、駄目な作戦はどう努力しても駄目なもので、そういう作戦を選択しては駄目だということを痛烈に感じさせてくれる本でもあります。

 余談ながら、映画「遠すぎた橋」でジョー・バンデラー中佐を演じたマイケル・ケインは、出撃シーンで脚本に書いてあった「前へ、進め、突撃」というセリフが本当らしくないと感じたそうです。そこで、バンデラー中佐本人に確認し、中佐は「さあ、それじゃあ行こう」だったと答え、ケインは映画でその通りに言いました。このことは、ケインの「映画の演技」に書かれています。


ヒトラー最後の戦闘

 ベルリン陥落を描いた作品です。この時期の話と言えば、迫り来る連合軍を必至で食い止めようとするドイツ兵と、総統官邸の地下壕で発狂寸前のヒトラーの話しかありません。なにしろ、結末は分かっているわけですし、ドイツ軍の将校がどうやって自殺しようかと考える場面もあり、明るい要素はほとんどありません。正に、世の終わりを描いたような作品です。そこで気がつくのは、日本とドイツでは戦争の終わり方がまったく違うということです。日本は首都で地上戦が行われたわけではありません。爆撃はされましたが、東京で激しい地上戦は行われず、皇居が攻撃を受けることもなく、国家の最後の威信は残されました。でも、ドイツはすべてを失いました。それが日本とドイツの戦後を違えたのかも知れません。

 ヒトラーの最期については諸説あります。陥落寸前にベルリンを脱出したとか、南米で生きているとか、途方もない話も色々ありますが、結局、自殺したのが正しく、ソ連軍が遺体を発見して移動して埋め、何度かの移動の後に所在不明になったようです。ヒトラーの頭蓋骨とされるものが、焼却された場所から見つかり、現在もロシアで保管されています。(2006.12.25)

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