この本は、元陸自隊員で、退官後に自民党から立候補して衆議院議員となり、防衛庁長官も務めた中谷元氏が書き下ろした国防論です。タイトルからすると、極秘情報が書かれているように見えますが、真摯で現実的な内容です。
同じ防衛長官経験者の石破茂氏が書いた
「国防」に比べると、著しい違いがこの本には認められます。それは「論旨が明快で、読みやすい」ということです。「国防」は、あまりにも読みにくく、意味が読み切れない部分が何カ所もあります。内容が判然としないのでは評論のしようもありませんが、本書にはそうした問題がまったくありません。防衛大学を出て、普通科部隊の指揮官を務めた人にとって、筋の通った文章を書くのは難しいことではないはずで、それは本書で遺憾なく発揮されています。「国防」には、明らかな事実誤認とか、認識不足にあたる記述も見られますが、本書にはそうした問題は大きなところでは見当たりません。
ただ、特に気になる記述が一カ所だけありました。
実際、1995年の「地下鉄サリン事件」の際には、大宮に配置されている化学部隊がすぐに出動して、何人かの命を救ったという経験もあります。(p228)
この化学部隊は、事件当時は第101化学防護隊と呼ばれていて、現在は中央特殊武器防護隊と改名されていますが、基本的には救援活動ではなく、除染活動を任務としています。地下鉄サリン事件で救助活動を行ったのは東京消防庁と警視庁機動救助隊です。第101化学防護隊が受領したのは除染任務であり、救援任務ではありません。毒物がサリンと判明してから出動命令が出たわけですから、それまでにはかなりの時間が経っており、化学防護隊が現場に到着するまでに、生存者はすべて病院に収容されていました。ただし、自衛隊中央病院と衛生学校から被害者が収容された病院へ派遣され、サリン中毒の治療を行い、病院スタッフにアドバイスをしているので、自衛隊が治療活動に無縁だったわけではありません。また、第101化学防護隊が対テロ用だと説明されていますが、この部隊が創設されたのは1970年で、元々は、正規軍が使う化学兵器に対処する部隊でした。その後、全国の師団に化学防護隊が設置され、2006年に第101化学防護隊は中央即応集団に編入されました。これ以降は、対テロも任務だと言えるようになりましたが、最初からそうだったわけではありません。
誠実な人の意見は、たとえそれに賛成できなくても、読んで気分がよいものです。反対に、不誠実な人の意見は、たとえそれに賛成であっても、読んで不快なものです。中谷氏の著作は前者です。この本に書かれていることのすべてに賛成はできませんでしたが、中谷氏の人格は評価に値します。
この本に関して、私から見て気になるのは、自衛官としての経験が逆に軍事問題を見る目を損ねているところです。防衛大学校で鍛え上げられ、レンジャー部隊の教官として、全力で任務をこなす経験を積んだのは立派なことです。しかし、そうした強烈な体験は、目の前の問題を解決するのには役に立ちますが、長期的な戦略を考える時には機能しないのです。
防衛省の組織改革に関する提言には聞ける話が多いのですが、アメリカとの関係やテロとの戦いに関しては、近視眼的な意見が多いと感じます。
中谷氏は、「自衛隊は米軍の別働隊か?」の中で、アメリカとの関係は重要としつつ、日本独自の判断で活動することを、日米関係の骨子としています。しかし、こうした関係はしばしば、アメリカの要求を受けることの言い訳として用いられてきました。アメリカが「どうしても」と言い出せば、「日米関係なくして、日本の安全なし」という言葉が叫ばれ、その要求に従うのは、戦後日本政治の通例でした。自衛隊のイラク派遣に関して、小泉純一郎総理(当時)は「日米同盟」という言葉を連発し、国民はこれを支持しました。通常戦力においても、核戦力においても、日本はアメリカの傘に入っているのだから、アメリカが出す要求には従わなければならないというのが、戦後日本の常識だったのです。この環境下で、いくら「日本の自発的な判断」と言ったところで説得力はありません。日本が自前の防衛政策を持ち、それに基づいて対外交渉を行わない限り、日本がアメリカと対等に話し合う日は来ません。自衛隊に長くいた中谷氏にとって、アメリカとの協力は日常茶飯事であり、こういう発想にはなりにくいかも知れません。しかし、いずれこういう状態が改善されなければいけないのは明白です。
中谷氏は、「テロとの闘いと、自衛隊にしかできないこと」の中で、テロとの戦いには「勝たなければならない」と主張していますが、過去に、テロとの戦いは妥協の連続であったという歴史的な認識が欠落しています。勝てる見込みが最初から薄い対テロ戦争に対して、洋上給油のような効果が期待できない対処で満足することに矛盾はないのかと、私は考えます。また、911テロやロンドンやマドリードでの爆弾事件があったのだから、日本でもテロ攻撃がないとは言えない。市街戦の訓練をしなければいけない。これらの意見は、正直なところ理解できません。まず、国外と国内のテロリストの区別と対処が明確に書かれておらず、混然としています。市街戦を起こすには、一定の数の戦闘集団を日本に潜入させなければなりません。アルカイダがこのようなことができるとは考えにくく、北朝鮮の特殊部隊のようなものを想定しているように思われます。そうなると、それは対テロではなく、対正規軍との闘いになり、話が変わってしまうのです。
それでも、本書は防衛省の内情について有益な情報を提供しており、一般人が知り得ないことを教えてくれます。そういう観点で、お薦めしたい一冊です。 (2008.7.8)