この本は1970年に発行されており、現在ではかなり入手しにくいと思いますが、非常にユニークで貴重な内容なので、ご紹介しておきます。
「大本営発表」といえば、信憑性の薄い公式発表の代名詞となりました。日本の公式発表はデタラメで、アメリカのそれは正確であったと言われますが、その両者をまとめて比較したのがこの本です。著者は、元大本営報道部元海軍・中佐富永謙吾氏です。つまり、信憑性のない発表をやっていた部署にいた人といえます。報道部は昭和12年に設置され、当初は陸軍と海軍の両方にありました。それらの部長は、少将又は大佐で、部員は佐官又は尉官と、その他の要員で構成されていました。そして、昭和20年5月22日に双方は一本化されました。
富永氏によれば、政府発表の正確性は、開戦から間もない頃は商戦の損害を除いては正しい情報をが発表されました。しかし、珊瑚海海戦の頃から戦果の誇張が始まり、マリアナ沖海戦以後は誇張だけでなく、損害の隠蔽が加わり、終戦まで続いたのです。一方、アメリカの政府発表は、速報を除くと時間を置いてから発表される傾向があり、真珠湾奇襲の損害は空襲の1年も後に発表されています。また、損害を小出しに発表する傾向がありました。また、日米共に戦果を誇張する傾向が見られたと言います。それでも、戦争後期になるほど米政府の発表は正確になり、その正確性は富永氏が「敬服の他はない」と書くほどでした。
本書は、こうした日米双方の政府発表を比較し、戦後明らかになった情報を元に実際とどれだけ近く、どれだけ遠かったかを詳細に解説しています。もちろん、数多い大本営発表のすべてを扱うわけにはいきません。後半には太平洋戦争中の大本営発表の全文が掲載されていますが、比較と解説が書かれているのは重要な戦いだけです。こうした情報を整理して後世に残した努力には著者に感謝するしかありません。同じことを自分で調べたら大変な手間がかかるでしょう。また、報同時の大本営内部の様子も書かれており、昭和19年6月16日の八幡空襲では、東条英機参謀総長と天皇から侍従武官経由で、「早く発表せよ」と指示があったものの、入ってくる情報が「虚報の洪水」状態で、発表できるようになるまで時間がかかった、といった裏話も書かれています。
大本営発表が虚報だらけになった理由は、その業務規程自体に問題があったようです。規程の一つに「発表の内容及び発表の時期方法等は慎重に考慮、常時幕僚と緊密に連絡し以て軍機の秘密を保持すると共に我軍民の士気を鼓舞し敵の戦意を失墜せしむるものとす」とあり、まずい戦果が生じた場合は、隠すほかないようなものだったのです。それにしても、大本営発表で敵の戦意を失墜させることまで期待していたというのは、完璧を求めすぎというものです。
さらに、巻末にはカラーで日米が用いた謀略ビラが掲載されており、極めて興味深いものとなっています。(2007.1.18)