軍事問題の本ではありませんが、サスペンス小説を紹介します。
実は、「テンプル騎士団の聖戦」の邦訳版の制作中、翻訳者の澁谷正子さんから軍事的な事柄、テロリストの爆弾に関する事柄の訳し方で協力の要請がありました。
レイモンド・クーリーの作品は書店では何度も見かけていましたが、これまで私は読んだことがありませんでした。しかし、興味が湧いたので「テンプル騎士団の古文書」を読みました。そして、これが非常に興味深い内容であることが分かりました。さらに、澁谷さんから出版されたばかりの「テンプル騎士団の聖戦」を提供頂き、読むことができました。
「テンプル騎士団の古文書」はこのような物語です。
ニューヨークのメトロポリタン美術館で開催される「ヴァチカンの至宝」展。その壮大なオープニングセレモニーに、十字軍の装束に身を包んだ4人の騎士が現れ、驚く人々を尻目に美術館へ押し入り、数々の宝物を奪い去って逃走しました。
セレモニーに参加していた考古学者のテス・チェイキンは、犯人の1人が高価とは思えない展示品を持ち去るのを目撃しました。
犯人たちに怪我をさせられた元同僚を見舞った病院のエレベータの中で、テスは現場で見かけたFBI捜査官、ショーン・ライリーと再会します。彼は事件後に逮捕した容疑者、ガス・ウォルドロンと自分の治療のために来院していたのです。テスは自分の事件に関する見解をショーンに話し、彼も興味を感じます。FBIは次々と容疑者を追い詰めていきますが、ガスをはじめとして容疑者は次々と殺害されていくのでした…。
テンプル騎士団は、エルサレムに巡礼に行く者を守るために1128年に結成された修道士会です。単なる騎士ではなく、厳しい戒律を守ると誓った者たちだけが集まりました。そのテンプル騎士団に隠された秘密が21世紀に蘇り、新しい事件を生んでいきます。物語は十字軍時代と現代とを交互に行き来しながら進みます。
続編の「テンプル騎士団の聖戦」では、互いに惹かれる間柄となったライリーとテスに再び危機が訪れます。
テスが何者かに誘拐され、ライリーは彼女を救うために、やはり誘拐犯に脅された歴史学者、ベルフルーズ・シャラフィと共にヴァチカンへ行き、秘密古文書館からテンプル騎士団に関す写本を持ち出そうとします。ライリーは前の事件でカトリック教会の中枢とはパイプがありました。
文庫へと案内した神父をライリーは薬で眠らせ、シャラフィは目的の写本を見つけ出します。しかし、2人は衛兵に異変を気づかれてしまいます。ライリーは超人的な戦闘力で危機を脱出し、テスも取り戻したものの、犯人は写本と共に逃げてしまいます。
騙した上に、ヴァチカンで大立ち回りを引き起こしたライリーに、カトリック教会は意外なことを言いました。犯人を逮捕し、彼が追っているものを見つけたら、引き渡して欲しいと依頼したのです。
ご想像の通り、物語は「キリスト教」「十字軍」「テンプル騎士団」といったキーワードを基盤にした謎解きです。この手の本なら、ダン・ブラウンの「ダ・ヴィンチ・コード」が有名です。しかし、この本は出版こそ「ダ・ヴィンチ・コード」のあとですが、映画のシナリオとして書かれたのは、もっと前なのです。内容を見ても、両者は明らかに別物です。
それでも読者はそう感じているらしく、私が読んだ段階では、下のAmazon.comの読者評も本質を突いたものは一つもなく、「『ダ・ヴィンチ・コード』と違う」「テレビドラマ『24』みたい」という上っ面しか見ない意見ばかりです。
彼らは何も分かっていません。「ダ・ヴィンチ・コード」は以前から存在する伝説を利用した、歴史をベースとしたサスペンス小説です。読者は日常生活から離れて、歴史の謎の中を散歩して楽しみます。対比して「テンプル騎士団の古文書」は、現実の問題が創作の動機にあり、それを読み解けなければ理解できるものではありません。しかし、そこに気がつけば、これほど興味深い作品はないでしょう。そして、アクションシーンは難解な謎解きの合間に置かれていて、物語にメリハリをつけています。もう少し登場人物を増やしてもよい気がすること以外は、作者の選択の範疇といえます。
あまり作品の背景に触れると、逆に興味を失わせるため、下に文字を隠して、多少のネタバレを含んだ書評を掲載しておきます。「ここから」から「終わり」までをマウスでドラッグすると、文字が浮き出て読むことができます。読みたくない方はドラッグしないでください。
(ここから)
この作品は、宗教が争いの種になっている現代のテロリズムの問題がテーマです。レバノン生まれの作者は、子供の頃からキリスト教、イスラム教、ユダヤ教の争いを見てきました。そして、同時多発テロ以降にテロリズムの時代を迎え、宗教対立が生む暴力の問題を考えざるを得なくなるのは当然です。
クーリーは、娯楽作品の形を取り、歴史的に謎が多いテンプル騎士団の解釈を新しく創造し、自分が言いたいことを物語に込めて表現したのです。言うまでもなく、この解釈は作者の創造です。新説を提唱したいのなら、小説ではなく論文を書くものです。しかし、虚構であっても、私たちは本を読む間は、それを真実のように感じ、関連する事柄について考えを巡らすことができるのです。それが小説の面白さであり、論文では実現不可能な感動なのです。
まさに宗教に名を借りた暴力そのものである十字軍を、クーリーは現代のテロリズムを考える上でのメタファーとして用いているのです。このコンセプトすら理解せず、批判ばかりするのは理解できません。この本を通じて、宗教対立の問題や舞台となる地中海についても関心を向けられるはずです。本はそのように使わなくては、その効用は半減するというものです。
(終わり)
あ(2011.6.2)