「統帥綱領」は旧日本陸軍の戦略・戦術の基本書であり、「統帥参考」「作戦要務例」と共に、その3大兵書です。統帥綱領は軍事機密とされて厳しく管理され、特定の将校だけが読むことだけを許されました。終戦時にすべて焼却されましたが、暗記している元将校などの手によって復元され、出版されているものです。
旧軍なき後としては、すでに軍事機密でも何でもなく、その内容はクラウゼヴィッツの戦争論に大きく影響を受けていることもあり、内容には共通点が見られます。機密という物々しい言葉を気にせず、目を通して欲しいと思います。この本を読めば何か超人のような能力が身につくといった、オカルト的な関心では読まないでください。この本に書かれていることの多くは、他の本にも載っています。戦略・戦術はどういうもので、日本軍がどのような戦争指導の下で戦ったのかを知るために読むべきです。あらゆる兵法書には欠点がつきものですし、時代が変われば兵器も変わり、戦術も変わるものなのです。クラウゼヴィッツの時代には銃、、槍、刀、大砲などの武器、移動手段は馬しかありませんでした。密集隊形が戦術の基本で、現在のような散兵戦術とはまったく異なっている上に、ミサイルなどのハイテク兵器もありませんでした。クラウゼヴィッツも統帥綱領も、戦力の集中は自軍が予定する場所へ集めることと説明しますが、これは主に徒歩移動を基本とした軍隊における常識です。現代の戦争では集中の方法は様々で、それを無視して現代戦を考えることはできません(ちなみに、統帥綱領の刊行年は1928年です)。しかし、戦争の性質は時代が変わるとまったく変わってしまうものではなく、過去の延長線上にあります。それを考慮しながら読めば、得るところは大きいでしょう。
そういった点で、本書を読む上で注意すべきなのは、その成立過程でしょう。明治時代、日本はプロイセン(現在のドイツ)からメッケル少佐(クレメンス・ウィルヘルム・ヤコブ)をお抱え学者として雇い、新生日本陸軍の将校を養成するために陸軍大学校の教官にしました。当然、彼はクラウェヴィッツの戦争論を中心に講義し、それらが戦場で実践され、効果が確かめられた結果が、のちに兵書としてまとめられることになったのです。このため、統帥綱領はドイツ兵学の影響が多分に感じられる内容となっています。クラウゼヴィッツが論理の完璧さにこだわるあまり、用兵の膠着を招いたと批判されていますが、旧日本陸軍も同種の間違いを犯したと言われています。それがクラウゼヴィッツの影響かどうかは議論が複雑になりすぎるので止めますが、統帥綱領にはクラウゼヴィッツに共通する堅苦しさを感じるのは確かです。統帥綱領に書いてあることはそれぞれもっともではあるものの、すべてを同時に正しく実行することは不可能に近いものがあります。こうなると優れた兵法も宝の持ち腐れとなり、意味をなさなくなります。旧日本陸軍については、常に戦況を統帥綱領に合わせて解釈しようとして、逆に失敗した面があるといわれています。たとえば、「戦勝は将師が勝利を信じるに始まり、敗戦は、将師が戦敗を自認することによりて生ず。故に、戦いに最後の判決を与うるものは実に将師にあり」という言葉が精神論に利用されると、まずい作戦案を否定しにくい環境が生まれる恐れがあります。また、指揮官が現に敗北に直面した時、彼が適切な措置を取るチャンスを失わせる危険もあります。
統帥綱領をテーマとする本は数多くあります。本書を推薦したのは、私の手元にあるからに他なりません。残念ながらこの本も部分的に割愛したり、修正した箇所があるので、完全な資料としては使えません。しかし、全文が必要な人はごく一部の研究者のみで、一般向けにはこれで十分と思われます。また、この本は適所に古今の戦場における応用例を挿入し、一般人にも分かりやすくするよう努めています。「統帥綱領に学ぶビジネス戦略」式のビジネス本は避けるべきです。著者の大橋武夫氏は戦後、ビジネスマンとして生きるために統帥綱領が役立ったと述べていますが、だからと言って、ビジネスマンがこの本を読んですぐにビジネスに応用できるとは思えません。そのためには、旧日本陸軍の装備編成について正確な知識が必要だからです。この本を研究するよりは、自分のビジネスを分析してみた方がよい結果が得られるはずです。(2007.1.21)