私は英雄じゃない
 本来、この本は戦史・戦記の中に含めるべきかも知れませんが、リンチが後方支援隊におり、本書の内容にも軍事的な情報はそれほど含まれておらず、個人的な戦争体験といっても構わないため、戦争体験に分類しました。

 本書は、イラク侵攻で捕虜になり、劇的救出によって生還した女性兵士ジェシカ・リンチのドキュメンタリー本です。恐らくは米国防総省か米陸軍の誰かさんが気を利かせて英雄談を作り上げたようです。リンチは負傷しながらも敵と交戦し、遂に力尽きて捕虜になったという伝説が流布されました。しかし、彼女はそのような証言や報告は1度もしておらず、実際には車両の衝突によって重傷を負ったのでした。救出作戦も大々的に宣伝され、「誰1人、置き去りにしない」という米陸軍のスローガンを再認識させるのに役立ちました。実際には、リンチは1発の弾丸も発射されずに救出されました。こうして、本人が怪我で苦しんでいる間に、人々は美談に喜び、あとで嘘だったと分かって勝手に失望していました。

 リンチの体験だけでなく、彼女の故郷、ウェストバージニア州パレスタインがこの一件でどのような反応をしたのかを知るのは、アメリカ人の軍に対する考え方を知るのによい手がかりになります。「リンチが行方不明」の一報が入ると町中が喪に服すような状態になり、救出されたと知ると歓喜に湧き、花火が打ち上げられました。その落差たるや天と地ほどの差があります。全国からはお見舞いの品や寄付が届きました。これが出征兵士を送り出すと必ず起こる社会現象です。出征兵士の家族だけでなく、地域全体が人質を取られたようになり、誰も戦争に反対しなくなる、あるいはできなくなるのです。その戦争の戦略的妥当性という問題は脇へ押しやられ、ただ若者たちが無事に戻ってくることだけを願うようになります。これは実際、本末転倒なことです。戦略的妥当性にかなわない戦争に兵士を送り出す方がよほど若者を危険にさらすでしょう。しかし、それができないのが人情というものです。

 こうした単純な心理的、社会的な構造を乗り越えないと、政府が安直に戦争をはじめることを防止できません。この本は反面教師として、このことを教えてくれます。

 この本は、難を言えば、翻訳があまりよくありません。翻訳者は武器の名称については詳しくないようで、別物と誤解しかねない誤訳が散見されます。「アーソルトライフル」は「アサルトライフル」。「榴弾筒」は「擲弾筒」。「50口径砲」は、スペルが「.50 caliber gun」であっても「50口径機関銃」とすべきです。擲弾筒の砲弾は、スペルが「grenade」であっても「手榴弾」ではなく「成形炸薬弾」か単に「砲弾」とすべきです。それにロケットランチャーの「砲弾」は普通「弾丸」とは訳しません。武器の英語名はしばしば曖昧で、実物を知らないと読み違えます。

 リンチに関してはよいニュースもあります。2007年1月20日、リンチは女の子を出産し、母親になりました。父親はこの本に名前が出ている男性とは違うようで、彼女には別の恋があっったようです。娘のミドルネームには戦死した友人のミドルネームをつけました。時間は着実に彼女の人生を取り戻させているようです。(2007.1.28)

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