ワンス・アンド・フォーエバー
 1965年11月、ベトナム中央高地のイアドラン峡谷に米第7航空騎兵連隊第1大隊がヘリコプターで降下し、北ベトナム軍と激しい戦闘になりました。この戦いを指揮したハル・ムーア中佐と特派員として戦場で取材を行ったUIP記者、ジョセフ・ギャロウェイが、共同でこの戦いを描いたのが本書です。映画「ワンス・アンド・フォーエバー」の原作として日本で紹介された本ですが、本来は映画とは別に評価されるべき本です。なぜなら、「ブラックホーク・ダウン」と同じく、原作と映画の内容が相当に違っているからです。

 映画では米軍の勝利に終わったように見える戦闘ですが、実際には敗退したのは米軍でした。映画では、ハル・ムーア中佐が総攻撃をかけていますが、本当は総攻撃をかけたのは北ベトナム軍でした。この総攻撃で北ベトナム軍は戦闘を継続できないほどの損害を受け、米軍は何とか生き延びることに成功したのでした。映画では、中佐の大隊は敵を蹴散らして悠々と引き揚げますが、実際には後退する部隊の到着を待たないと後退できない状態でした。さらに、イアドラン峡谷での戦闘はその後も続き、翌年にも起きています。この作戦自体が立案すべきものではなかったのです。米軍が想定したのは極めて規模の小さい部隊で、1個大隊で掃討できる程度と思い込んでいました。偵察も不十分で、丸々1個大隊が狭い峡谷に降りたら、目の前に強力な敵がいたという話です。

 その上、この大隊には目立ちたがりで、名誉勲章を欲しがっていた小隊長がいて、前進しすぎて敵に包囲され、本人が戦死してしまいます。結局、彼は名誉勲章はもらえず、部下を危険にさらした指揮官として名を残しました。中佐はこの小隊を救出するために最後まで余計な心配をすることになりました。あまり良いところのない戦いだったと言えます。危機的状況で兵士が勇敢に戦ったとしても、ヘリコプターの着陸地点を守れないと基地に帰れなくなることを理解できない兵士はいません。正気でいる限り、彼らは戦わざるを得なかったのです。

 他にも原作と映画が違っている場面は多々あり、まったく別の戦いの話であるかのようにすら思えます。シナリオも書いた監督がヒロイズムを好んだために、こういう内容になったのです。イアドランの戦いを理解するには、原作を読むべきです。原作に問題があるとすれば、個々の兵士の行動に焦点が向けられており、指揮の内容についての記述が少ないことでしょう。それでも、双方が戦術の原則に従って行動したことは理解できます。北ベトナム軍は米軍が降下したことを知ると、正面から攻撃を仕掛けながら勢力を把握し、次第に側面に回り込むようになります。映画ではほとんど描かれませんが、実際にはムーア中佐は日が暮れるまでに何とか円形陣地を完成させています。北ベトナム軍は米軍を披露させるために夜襲をかけ、圧力をかけ続けました。大隊が帰還できたのは、おそらく支援砲撃と空爆のお陰です。これらの砲爆撃のお陰で、北ベトナム軍の突撃は阻止されたのです。

 この本によると、マクナマラ国防長官はムーア中佐から戦闘の報告を聞いています。他の軍高官たちも列席する中で、ムーア中佐は報告を行い、終了後、誰も口を利かなかったというほどのショックを受けたといいます。唯一、マクナマラ長官だけが席を立ち、ムーア中佐の目をじっと見つめたといいます。おそらく、マクナマラはムーア中佐が正気でない可能性を考え、彼の目に狂気が感じられないかを確認したのでしょう。ムーア中佐は、長官が自分の報告を正しく受け止めて、その後のベトナム政策に生かしてくれたと考えています。それでも、ベトナム戦争は最悪の結果を生んだことを、私たちは忘れるべきではないでしょう。(2006.12.27)

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