前米下院議長ニュート・ギングリッチが世界情勢に関して、「第三次世界大戦の様相を呈している」と発言しました。同氏は、テロとの対話を否定し、各国の協力によって、この戦いに勝利すべきだと主張しています。
私も第三次世界大戦が迫っている可能性を考えています。特に、今年に入ってから、その危惧を強めています。現在はまだ戦争状態にほど遠いのですが、今後、本格的な戦争に突入する危険は十分にあると考えています。そうなれば、未来の歴史学者たちは、現在の状況、2003年以降の対テロ戦争を「第三次世界大戦の起源」とみなすようになるでしょう。この仮想の戦争には、北朝鮮とイランのミサイル、核爆弾の開発が大きく関係します。
ギングリッチのいう強硬なテロ政策は、戦いに勝つこと以外に出口がありません。どんなに激しい戦いにも勝ち抜いて、最後には勝利を手にするという発想にはいかにも一神教らしさを感じます。すでにアメリカはファシズム化したと言って構わない状況ですが、アメリカ人の半分くらいは信仰の名の下にそれを自覚していません。
むしろ、ヒズボラの方が人心の掌握に手慣れているところがあります。住宅を破壊された住民のために、ヒズボラは1年分の家賃と家具代として米100ドル紙幣で1万2000ドル(約140万円)を支給したといいます。戦争被害者は、家族を失うことのほかに、自宅を失うことに最も強く被害意識を持つといいます。それを少しでも緩和する手を打てば、痛みを和らげ、新しい生活に向かう気力を醸成します。これで、レバノン国民の支持はヒズボラのものです。
そういう戦争が起きたとした場合、日本が巻き込まれるのは必至でしょう。話題作りのみに長けた小泉総理が、対米追従外交を決定的なものにした上、ポスト小泉がそれを継承しないと国民の支持が得られない状況も作り出しました。今後の展開はおおよそは見えています。日本は、段階的にアメリカの対テロ戦争への協力度を強めていき、最終的に戦争に参加することになります。戦争状態と明言せざるを得ない状況になるまでは、「戦争をする訳ではない」という方便が横行するでしょう。これによって、日本国民は「真珠湾攻撃のように、こちらから戦争を仕掛けるのではないから大丈夫」と考えるようになります。「サマワでも悲惨なことは起こらなかった」という悪しき前例主義も横行するでしょう。官民共同の無責任状態が生まれ、気がついたら戦争から抜けられなくなるという次第です。
太平洋戦争も真珠湾奇襲にはじまったのではなく、満州事変以降の積み重ねの結果です。「事変」という言葉が使われたのも「戦争」にすると、軍事同盟によって第三国の介入を招くと判断されたからですが、それはやはり「戦争ではない」という言い訳にも寄与しました。ベトナム戦争でも、アメリカは南ベトナム政府を支援しただけのつもりが、最終的には戦争状態に発展しました。その理由は、存在しない攻撃を受けたと米海軍が誤認したため、反撃せざるを得なくなった、という考えられない理由でした。頬を打たれたら反撃して、臆病者ではないことを証明しなければならないという社会通念が、アメリカにベトナム戦争を決意させたのです。
面倒でも、軍事を考える上では複雑な問題を慎重に分析する必要があります。昨今は、社会問題を考える手法がひどく単純になり、それが国民の支持を受ける傾向が強まっています。吉進丸事件の外務省の態度にそれが顕著に表れています。ロシアの忍耐は限界に達しており、ガルージン臨時代理大使は「悪いのはロシアの領海で日本の漁船が密漁をしたこと。再発防止に向け取り組むべきは日本」と指摘しました。これ以上、ロシアを追求すれば、彼らは扉を閉ざし、この問題から日本を閉め出すでしょう。ロシアが好意的な事件処理を進めているのだから、この状況を維持すべきなのです。ロシア警備隊はロシアの密漁船も取り締まっており、日本漁船だけを摘発しているのではありません。ロシアの密漁船が収穫したカニは日本に輸出されて消費されています。いま外務省が問題を整理すべきなのは、銃撃に至るまでのプロセスです。公表されたプロセスに明らかな矛盾がある以上、まず外務省はそれを明らかにするよう努力すべきです。それなしに人道上の理由だけを主張するのは不合理です。また、北方領土問題に関連づけるべきでもありません。漁業でルール違反は常道です。漁民には漁獲高を上げるために不本意でも違法操業をやらざるを得ないところがあります。北方領土四島が返還されても、そのすぐ先にはウルップ島があります。日本漁船が収穫を求めてロシア領海内に入らないという確証はありません。テレビニュースを見ていると、どの番組も問題の本質を避け、死者が出たことだけを問題にしています。この程度の事件を適正に処理できないのでは、世界大戦を避けることなどおよそ不可能です。