核に対するアメリカ人の理解できない感覚

2006.10.6

 military.comに、北朝鮮の核兵器に関する実に楽観的なコラムが掲載されました。かなり突飛な内容でもあるので、邦訳の後に私の見解を書いておきます。コラムの著者は、海軍士官学校卒で、エンジニアとダイバーでもあり、原潜での勤務経験もある軍事専門家です。


北朝鮮の核兵器の利点


マイケル ・ディメクリオ 2006年10月5日


 北朝鮮は今週、彼らが近い将来核実験を行うつもりであると発表しました。最近の見積もりでは、北朝鮮は1ダース程度の核爆弾を作るのに十分な核物質を持っています。

 当然、ライス国務長官は躍起になり、高官による会議を開き、そして北朝鮮について何をするべきか議論する計画を立てました。これは世界にみせる顔としては間違っています。我々は北朝鮮によってガタつかされるべきではないのです。実際、ニュースが最初は失望させられるものに思えても、北朝鮮の核兵器計画の明るい側面を見ることにしましょう。

 核兵器を持つことは、国家の責任と国家の成熟への参入を呼び起こします。私はこのモデルには、中国とソ連、のちのロシア共和国が含まれると考えます。中国とソ連は核爆弾を入手してから20世紀の終わりまでアメリカ人には信用がありませんでした。しかし、世界支配のために核兵器を使うよりは、これらの二ヶ国は真剣に譲歩し、成長を遂げました。

 核兵器を持つことが国家を近代に参加させ、地域や世界的な紛争を断念させることは可能でしょうか? 冷笑家は、アメリカ自身がその命題の立証に失敗し、核兵器を保有する国家が無責任だといわれるイラク戦争から我々を止めなかったと言うでしょう。しかしながら、アメリカはその鋳型に収まるのです。朝鮮戦争において、我々は中国人の頭の上に3個から12個の核兵器を落とすことができたはずです。我々はそうしませんでした。ピッグズ湾で、我々は1個の原子爆弾でキューバの力を無力化できたはずです。我々はそうしませんでした。

 ベトナム戦争で、北ベトナムに原子爆弾を落とすことが真剣に議論されました。海軍士官学校での講義において、私はよく知られた戦時捕虜、ジェームス・ボンド・ストックデイト提督に、米軍がハノイに水素爆弾を落としたと知ったらどう感じると尋ねました。彼は大勢の海軍将校候補生の前では質問に答えませんでしたが、あとで電話をくれました。

 「ハノイに水素爆弾を落としたら我々はどうするすだって? 我々は喝采するだろうね?」と、彼は静かに言いました。しかし、我々は爆弾を落としましたか? しませんでした。もっと冷静な考え方が主流でした。

 確かなことが一つあります。核兵器の占有は、政策立案者と兵士たちにチェスの3手先を考えさせます。そして、彼らがそうする時、彼らは核兵器の使用は、それが自殺的兵器であるという事実を含めて数多くの理由により、想像もよらないことを認識します。

 奇妙な方法ですが、核兵器を持つことは国家に平和的になることを強いるのです。原子の力は、平和のための力でしょうか? それはストレンジラブ博士の言い回しではありませんが、それは真実なのです。

 テロリストたちには不運にも、それは彼らには提供されません。国を動かすことはリーダーシップに責任を強います。そして、テロリストにとって責任は僅かしかありません。自爆戦士にとって、神やアラー以外は責任はゼロです。

 理論を確かめるために、ヒットラーは1939年に爆弾を使ったでしょうか? 私は彼がそうしたと思いません。彼はそうすれば、全世界が彼について二分され、祖国が素早く破壊されることを理解していたでしょう。1944年、絶望的な状況において、ヒットラーは核兵器を配備したでしょうが、それは自滅的で、彼にとって最大の敵を得ることになるため、降伏を受け容れたでしょう。

 それは、我々が原子の火を発見したことの利点です。我々は、世界的な文明として成長しました。

 けれども、それは我々が核爆弾を発明することを運命づけられていた真の理由ではありません。核爆弾は2つの平和的な利点を持っています。その第一は、全人類や地球上の生命さえ破壊するかもしれない、地球に接近した隕石や小惑星を(世界的なカトリーナ・ハリケーンかそれ以上を防ぐため)破壊するためです。第二は、石油、核の次の世代のエネルギー源、事実上無限の地殻の中の溶けたマグマまで何マイルも掘るためです。

 なんと、我々の時代のへ家和とエネルギー危機の解決は、すべてひとつの素敵な放射能を持つパッケージの中にあるのです。神よ、核爆弾を授けてくださり感謝します。

 オサマがそれを手に入れない限りは。

(終わり)




 このコラムは日本人には絶対に書けないもので、第二次世界大戦の勝者であるアメリカ人だから書けたのだと思います。日本人にとって、核爆弾は悪しきものでしかありません(一部の例外はあるでしょうが)。

 解説が必要なキーワードが3つあります。

 「ピッグズ湾」はキューバにある湾の名前ですが、正式名称ではありません。本来は、コチノス湾というのですが、「コチノス」に豚という意味があるため、アメリカのマスコミがこう呼ぶようになったのです。1962年、キューバにソ連製ミサイルが配備されていることを知ったアメリカとソ連が対立して、キューバ危機が起こりました。ピッグズ湾は世界が核戦争の瀬戸際まで行ったキューバ危機の象徴です。アメリカは海兵隊をこの湾に上陸させ、ミサイルを破壊しようとしました。最終的には、非公式の外交交渉によって危機は回避されましたが、核戦争においては通常の外交ルートが役に立たなくなることを証明した事件でもあります。

 「ヒトラー」は、ナチス・ドイツの総統アドルフ・ヒトラーのことです。ドイツは核開発に成功しませんでした。ドイツの科学者は臨界現象は理解していましたが、爆発はしないと考えていたため、核爆弾の着想を得られなかったといいます。仮定の話として、ドイツが核兵器を完成させていた場合、自殺直前のヒトラーなら使用を命じたかも知れません。現に、彼は自分と共にドイツも滅ぶべきだと考え、国土そのものを破壊するように命じました。命令が実行されなかったのは、彼らの部下が躊躇し、ヒトラーが自殺してしまったためです。

 「ストレンジラブ博士」はスタンリー・キューブリックの映画「博士の異常な愛情/または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか」に登場する元ナチの科学者という設定の架空のキャラクタです。サングラスをかけ、車いすに乗り、時々アメリカ大統領の前でナチス式敬礼をしてしまう変な科学者が、ピーター・セラーズの怪演で一層不気味なキャラクターとしてフィルムに収められました。劇中で、彼は核戦略の代弁者としてその利点を説くのですが、彼の話を聞けば聞くほど背筋が寒くなります。ここでは、「そういう話とは別に」という意味で用いられています。もっとも、私にはこのコラムとストレンジラブ博士の話にあまり違いを感じません。

 全体的に、戦略学上の抑止論を中心にして、少し俗っぽい表現で説明している感じがしますが、あまりにも楽観的すぎる気がします。ヒトラーの例もそうですが、彼はドイツの勝利を信じて疑わず、その為にはいくら若者が戦場で死んでも気にしませんでした。おそらく、彼の頭の中では、自分と国家は一体であり、自分が滅ぶ時は国も滅ぶべき(逆でないことに注意)だと考え、そう発言しました。大戦末期に、彼が核兵器が完成したと聞けば、それを使って連合軍の前線に大穴を開けさせ、和平交渉に持ち込もうとしたかも知れません。自殺直前のヒトラーは正気を失っていたこともあり、誤った判断を下す可能性はあったと考えます。つまり、国土の保全が見込める状況では抑止力は働きますが、その希望が完全になくなった時は国家といえども大量破壊兵器を使う可能性があると考えられるのです。

 そのため、抑止論を手放しで信頼することはできず、常に慎重であるべきです。まして、核兵器を持つことで国家が文明的になるとは考えられません。抑止論は危ないバランスの上に成り立っており、そのために大戦争が起こりにくくなっているだけで、平和的になったと考えることはできません。このコラムは、その不確実性を著者の信仰心でごまかしているように見えます。

 さらに、隕石の撃墜という究極の地球防衛システムについては、あまりにも荒唐無稽です。現在、そのようなシステムはどの国も持っていません。映画「ディープ・インパクト」ではICBMを巨大隕石に向けて発射して、すべて外れてしまうシーンがあります。ICBMは宇宙から飛来する物体に命中させるようには作られていません。そのためには、また新しいロケットを開発する必要があると考えます。マグマ採掘のために使うという話も初耳であり、このような計画が存在するのか疑問です。どちらにしても、転用がむずかしい核エネルギーの使い道を無理矢理作ひねり出したような印象しかありません。

 このコラムから学ぶのは、アメリカ人の中には、こういう考え方をする人もいるのを知ることができるということです。正直なところ、それ以上のものはないと思います。

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