終戦直後、立川市の米軍立川基地に所属していた元米兵のマーティン・ローゼンブリット氏(82)が交際していた「中島松江」という名の日本女性の消息を捜しているという記事が、昨日、毎日新聞に載りました。
占領軍の一員として来日したローゼンブリット氏は、半年間だけ中島さんと交際し、結婚も考えたものの、1946年2月に帰国が決まり、単身帰国しました。その後、ローゼンブリット氏は結婚し、日本での恋は美しい思い出として氏の記憶に残ることになったのですが、ひと言彼女に謝りたい気持ちが募り、ようやく勇気を奮って再来日し、中島さんを探しています。
ローゼンブリット氏を冷たいと言うのは酷です。なぜなら、この頃は日本人女性がアメリカ人と結婚してアメリカに移住することは法的に許されなかったからです。1924年、アメリカでは増える日本人移民に対する反発が強まり、移民法が制定されて日本人の新規の移民は完全に禁止され、そのままになっていました。実は、皮肉にもローゼンブリット氏が帰国した翌年の1947年になって、兵士に限っては特例として日本人女性を連れて帰国することが許されるようになりました。他ならぬ兵役に就いて国家に貢献した兵士の結婚なのだから認めるべきだという意見が、移民に仕事を取られるという不安に打ち勝ったのです。さらに、1952年になると移民法はさらに段階的に緩和されていきました。
しかし、すぐに切り替わることがないのが世の常です。移民法の緩和以降も日本人がアメリカに渡るのは困難だったことが分かるひとつの証拠があります。
1958年に公開されたマーロン・ブランド、高美以子出演の「サヨナラ」は、朝鮮戦争のエース・パイロット、グルーバー少佐が日米双方の圧力に屈せず、マツバヤシ歌劇団(宝塚歌劇団がモデルの架空の劇団)のスター女優ハナオギと結婚する物語です。こういう作品が製作されたということは、法の緩和以降も問題が依然として存在し、法的には許されても、実際に結婚しようとするとさまざまな圧力が方々からかかる状況があったということです。特に、米軍人は手本として、アメリカ製品を率先して使い、アメリカ人女性と結婚するのが当たり前という風潮もありました。1958年になって、ようやくアメリカの文化人たちがこういう状況を問題だと認識するようになったので、映画のテーマとして取りあげられるようになったのです。しかも、作品に説得力をつけるために、主演に当時の「社会への反抗」を象徴する男優であったマーロン・ブランドをもってくる必要もありました。タイトルの「サヨナラ」は別れのセリフではなく、アメリカに渡ろうとするふたりを取り囲んだ日米双方の記者たちにグルーバーが言うセリフで、「悪しき慣習にサヨナラ」という意味が込められています。
あまり言われることはありませんが、太平洋戦争が起きた理由の一つは移民問題でした。アメリカに移民できなくなったことが、日本の中国進出に拍車をかけた可能性を考えないわけにはいきません。戦争を考える上では、武器や兵法だけでなく、こうした側面にも目を向ける必要があります。特に、戦争が起こるのは国家間においてであり、軍事問題そのものよりも、側面の要素が実は重要な位置を占めていることが少なくないのです。21世紀になっても、戦争は「持てる国と持たざる国の争い」であり、絶望的に古くさい因習が原因で起きているとしか思えません。そうした事情を、戦争を考える時に無視すべきではありません。
ともあれ、私はローゼンブリット氏が中島さんと再会することを願わずにはいられません。