負傷兵が無一文で追い出された理由

2006.11.17



 予想できたことですが、アメリカ議会はイラク政策の転換で真っ二つに割れています。ブッシュ大統領はベイカー委員会の意見を聞くつもりですが、ライス国務長官はイランとシリアが協力するはずがないと考えており、アビザイド司令官は直ちに撤退するのは駄目だと突っぱねる。おまけにイギリスでは、ブレア首相がイランとシリアに協力を求めようとしています。当面、このテーマで議論が続くでしょう。こういう場合、ブッシュ大統領はいつものように、対立する案から折衷案をひねり出すのが、最もありそうな結末です。アメリカがもめている間、イラクは新設した警察や軍が宗派対立を後押ししていることが明白となり、何もかも駄目な状況に陥っています。そして、その間にも人々の悲劇は続きます。その一つを紹介します。

 全米イラク・アフガニスタン退役軍人会(IAVA)のサイトに、ある兵士が給付金を失った経緯が書かれています。アメリカは、退役軍人にさまざまな恩典を与えています。恩給、公傷に対する無償の医療、住宅ローン保証、再就職の斡旋など、恵まれた環境が用意されています。しかし、退役軍人には自分が置かれた環境に不満を感じている人も大勢います。先の中間選挙では、退役軍人が民主党の推薦を受けて多数が立候補し、その一部が当選しました。



 2004年10月、ジョン・タウン技術兵はある朝、イラクのラマディにいる大隊の司令部に郵便物を届けるために歩いていました。そこへロケット弾が飛んでくる「ブーン」という音が聞こえ、彼は司令部に向けて走り出しました。2発は外れたものの、3発目は彼がドアに行き着いた時に命中し、ドアのすぐ上にピアノほどの大きさの穴を開けました。タウンは床にたたきつけられ、耳が聞こえなくなりました。ロケット弾の破片が首から取り除かれましたが、耳からの出血は続きました。19時間後、彼は意識を回復したものの、耳からはまだ血が出ていました。

 タウンは7年間の間に12回も表彰された兵士でしたが、最後の2年間は障害と憂うつから来る苦痛のもとで暮らしました。2005年7月、タウンは15,000ドルの契約ボーナスを受け取るため、さらに6年間の再志願を行いました。彼が所属する野戦砲兵隊はすでにイラクに向かっていました。タウンは聴覚、頭痛、記憶障害を持っており、完全に任務をこなすことはできません。彼はラマディでさらに半年、フォート・カーソン基地で1年間勤めました。タウンはさらに20年勤務してもよいと考えていましたが、ノースカロライナにいる子供の育児のために軍務を諦めようと決意しました。

 タウンは会話の聞き取りも困難になり、読心術を身につけました。記憶障害により、自分の行き先や、犬にエサをやったかどうかも始終忘れました。また、大きな音に動転し、自分でも落胆するほど怒りを爆発させるようになりました。医師はCATスキャンに異常は見当たらないと言いました。妻は最初タウンの記憶障害を信じようとしませんでした。睡眠障害も起こりました。2006年5月、タウンは浴槽にヘアドライヤー投げ入れて感電死しようとしましたが、ドライヤーがショートしたために果たせませんでした。軍は自殺性うつ病を扱い病院にタウンを入院させました。彼は技術兵から伍長へ昇進していましたが、再び技術兵に降格させられました。

 軍の精神科医、マーク・ウェクスラーは彼に、陸軍規則635-200、5-13章の「人格障害による除隊」が適用されるから名誉除隊となり、給付金も恩給も完全給付され、障害が続くようなら復員軍人援護局の援助を受けられると言っていました。ところが、これを申告するためには、こうした症状が入隊前からあったと主張しなければなりませんでした。復員軍人援護局は勤務中の問題に対してしか支援が行えません。障害給付金も出ないことになりました。さらに、15,000ドルの契約ボーナスは、5-13章による除隊の場合、12,000ドルに減額される上、6年の契約期間のうち勤務した1年分を残して返すことになりました。結果として、彼が受け取れたのは、給与の精算として500ドル、休暇を取らずに働いた分の1,500ドル、6,000ドルの解職手当でした。精算した結果、タウンは陸軍に4,000ドル近くの負債を抱えて、営門を出たのでした。

 タウンは地元の下院議員マイケル・オクスレイ(共和党)に実情を訴えましたが、面会は果たせず、オクスレイのケースワーカー、ジョディー・バッシュに話をしました。彼女はタウンに同情し、議員の代理として国防総省に手紙を書いてくれました。やがて、国防総省の高官がタウンに電話をかけてきましたが、結局、訴えは退けられました。タウンはIAVAに連絡を取り、IAVAはオクスレイとバッシュにコンタクトしようとしましたが、二人とも断りました。しかし、バッシュは10月にタウンに、まもなく小切手が送付されると連絡してきました。そして、10日に8,976ドルの政府小切手がタウンの手元に届いたのです。

 いま、タウンは育児を担当し、妻が工場で働いて生計を立てています。



 タウンが負った障害は、普通の人から見れば、ごく軽いもののように思えるはずです。普通、戦傷といえば、手足の切断とか、失明とか、生きて行くにも事欠く状態を指します。耳が聞こえないとか、頭痛などといった障害はモノの数には入らないと考えられがちです。しかし、そうした状況に陥った人の苦痛はこの程度ほど重たいのです。ロケット弾が近くで爆発しただけで、こういう状況が生まれるのです。そして、官僚組織のクレパスに落ちると、本来受けられるはずの支援さえ受けられなくなります。おまけに、この障壁はちょいと下院議員が圧力をかけると崩れる程度のものなのです。

 このことは、戦争をするのはどうしても避けられない場合に限定され、平時はそういう状況にならないように慎重な外交政策を展開すべきだという戦略上の要諦も示唆します。それにも関わらず、問題を軽く考えている人は山ほどいます。政治家からそうした発言が聞こえてくると本当に落胆します。自衛官を含め、軍人はこういう問題をよく考えるべきだし、一般人は軍人をそそのかして戦場に行かせようとしないことです。

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