まだ調子が上がらないので、ベイカー委員会の報告書の記者会見の翻訳は中止します。
さて、ベイカー・ハミルトン委員会の報告書について、ブッシュ大統領はブレア英首相との記者会見で意見を述べました。しかし、聞いているこちらが恥ずかしくなるような酷い内容でした。彼は失敗を隠すことに専心し、まるで他人事のようにイラク情勢を語りました。大統領のこの態度は、むしろ米軍兵士の間に大きな失望を呼び起こしそうです。ワシントン・ポストの記者も呆れたのか、「イラク情勢の悪化を認めますか」という記者の質問に対する大統領の答えで記事を締めくくりました。「イラクではうまく行っていません。これでいいですか? 言葉を返すようですが、私は何度もそう言ってきました。私は我々は成功しつつあるとも信じています。私は我々が勝利を収めると信じています」
逆ギレして、ここに及んでも、まだ口先だけで語ることしかできない大統領に期待するものは何もないでしょう。彼はイラクを混乱に陥れ、中東全域に紛争の火種を作り出したことを無視しようとしています。もちろん、本人は分かっているのでしょうが、口にしたくないのです。彼が言う「勝利」は政治的なものではなく、キリスト教が言う「勝利」とか「栄光」の類です。神を信じて、努力を続ければ、必ずよいことがあるという話です。これが個人的な行動方針なら問題はないのですが、政治目標となると、本人以外には迷惑なだけです。そもそも、勝利が何を指すのか、ブッシュ大統領は明確に示せないでしょう。イラクに民主主義を根付かせるのが勝利だとすれば、それに同意する専門家はごく少数しかいません。宗教を政治に持ち込むべきではありません。先日見たドキュメンタリー番組では、キリスト教保守主義の大学の生物学の教授が「地層は長年かかって物が積み重なってできたものではなく、聖書に書かれている大洪水の時に押し流されたものだと考えられます」と述べていました。彼らにとっては聖書に書いてあることはすべてが真実と、本気で信じています。
こういうキリスト教保守主義に対して、日本の保守派から疑問の声を聞いたことがありません。むしろ、諸手をあげて歓迎したがっているように見えます。自衛隊をイラクに派遣するという大盤振る舞いも、こういう傾向から生まれたのです。昨日、手嶋龍一氏の「一九九一年 日本の敗北」を久しぶりに手に取ったら、湾岸紛争の際に、海部俊樹首相とジョージ・H・W・ブッシュ大統領の会談(1990年9月29日)で、大統領の強い態度に首相が押し切られたと書いてあるのを見て、これがイラク派遣のそもそもの原因になったのだと気がつきました。「自衛隊が武力に直接訴えずに、多国籍軍の輸送や後方支援、医療協力などで貢献すれば、多国籍軍に参加している国々はこれを評価するだろう」ブッシュ大統領はこう述べました。海部首相はこの会談後、「ブッシュさんの言うように、日本人的な貢献をもっとやらなければ−−。実は、俺もそう思っていたところなんだ」と述べたといいます。この結果、民間主導の貢献策は立ち消え、自衛隊員に平和協力隊員の身分を併せ持たせる方針に切り替わりました。湾岸戦争の後、協力国に感謝を表する新聞広告に日本の名前がなかったことが大きく報じられ、以後、自衛隊を出さなければ駄目だという論調の根拠とされましたが、それは分かりやすいお題目に過ぎず、そもそもの発端は海部=ブッシュ会談にあったのだと思います。この会談は、まだ経済制裁が効果を見せていない時期に行われており、ブッシュ大統領は日本の協力をどうしても取りつけたかったのでしょう。しかし、日本はこれ以降、「自衛隊による後方支援活動」を対米外交の基軸に据え、自衛隊の海外派遣を推し進めました。これは、端的に言えば、他人任せの軍事政策です。軍事問題は、常に主体的に考え、行動する必要があるのに、日本はすべての判断をアメリカに任せています。これはいずれ大きな失敗を犯す、そもそもの発端となるに違いありません。