コラム:いい加減な軍事知識

2006.12.21



 イラク問題は来年早々まで、進展がありそうにありません。年内に新戦略が提示される可能性は少なく、まもなくクリスマス休暇に入るのに、国防長官がイラクに飛んで問題を整理中という状況です。ブッシュ大統領は予定通りに休暇を取り、ゲーツ国防長官はほとんど休まずに作業を続けることになるのでしょう。そして、新年早々に、にぎにぎしく新戦略が発表されるというわけです。それまでは、大した話は出てこないと考えられます。そこで、この機会に視点をニュースから軍事知識に移して、よもやま話のようなものをやってみようと思います。

 今回は、いい加減な軍事知識の話をします。私が戦争に興味を持ったのは、ひとつには小学生高学年の時にハンフリー・ボガード主演の「サハラ戦車隊」をテレビ放映で観たためかも知れません。その前から男の子としての「戦い」に対する興味はあり、歴史ドラマなどを好む傾向はありましたが、「サハラ戦車隊」が面白すぎたお陰で、以後、次々と戦争映画を観るようになりました。また、田宮模型のプラモデルの説明書に書いてある解説文を読むのが好きで、模型もよく作りました。こうして、本も戦争に関係したものを盛んに読むようになったのですが、それらの中にはいい加減なものも少なくなく、長い間正しい知識と信じ込まされたものもありました。思えば、私が育った時代には、今では通用しないような途方もなくいい加減な情報が平気で流れていました。


戦闘員の資格

 しばしば、映画などでは軍服を着ているかどうかで戦闘員であるかどうかを判断するシーンがあります。映画「大脱走」でドイツ兵に追いつめられたスティーブ・マックィーン演じるヒルツ大尉が、服の中に縫いつけられたアメリカ国旗を見せるシーンがあります。これは、自分はアメリカ軍人だから、ジュネーブ条約上の捕虜になる資格があると、ドイツ兵たちに示しているのです。このように、軍服を着ないで軍事活動を行うとスパイと間違えられて処刑される恐れがあるという話が、しばしば語られます。しかし、ジュネーブ条約を読むと、それは間違いであることが分かります。歴史的には、軍服の着用のみで捕虜の資格が判断された時代もあったのですが、1949年に、「民間人が敵の接近に対して武装した場合も、簡単な条件はあるものの、基本的には捕虜になる資格を持つ」と取り決められました。

 ある戦争漫画で、日本に侵攻したソ連軍に捕まった右翼団体のメンバーが問答無用で処刑されるシーンがあります。自衛隊の制服を着ていないから軍人ではないと判断されたわけですが、この話は不正確です。彼らは自衛隊のとは違いますが、自前の制服を着用し、指導者の指揮の下で戦っていたのですから、捕虜になる資格があるのです。また、仮に捕虜になる資格がない者を拘束したとしても、その場で処刑するのは賢明とは言えません。なぜなら、あとで軍人だったことが判明すると、自分が戦争犯罪者になる可能性があるためです。とりあえず拘束して、後でゆっくり調べて判断を下すのが無難というものです。湾岸紛争時に、「自衛隊を海外に派遣すると、自衛隊は軍隊ではないから自衛隊員は捕虜になれず処刑されてしまう」と主張した評論家もいますが、この判断は時代錯誤でした。この人は最前線の兵士はギリギリの状態で戦っているから厄介払いされるとも主張しました。そうした実例もあったかも知れませんが、イラク軍将校が撃墜された米軍パイロットを捕虜にした実例があります。

 唯一、まったく捕虜になる資格がないのは「傭兵」です。捕虜に関しては、日本人はかなり間違ったイメージを抱いており、特に注意が必要な分野です。


無条件降伏

 子供の頃、「民主主義とは何か?」という問いにクラスメートは、「物事を多数決で決めること」と言っていたと記憶します。当時は、自分でもそれが公正だと思ったのですが、その後、民主主義には情報開示や議論が不可欠だと理解するようになりました。誰だったか忘れましたが、戦後に「エイプリル・フール」という言葉が輸入された時、子供達は「欧米では4月1日以外にはまったく嘘を言わない」と驚いたものだそうです。海外の概念が輸入される時、なぜか笑える誤解が起きることが多いのですが、同様の誤解が日本の「無条件降伏」にもあるように思います。

 この「無条件」は降伏条件に関する交渉を認めないという意味であり、降伏後も何でも無条件に占領国に従うという意味ではありません。でも、私が子供の時、何かにつけて「無条件降伏だから仕方がない」と言うクラスメートがいました。大人たちにも、そのような雰囲気があったと記憶します。今でも、この問題が総括され切っていない気がします。降伏を受諾した以上、それについて文句は言えないわけですが、占領統治に関することでは、国際法に照らして文句を言うことは可能でした。アメリカのやり方がどうしても不満なら、話を聞いてくれそうな別の連合国の協力を求めるという方法も使えたはずです。明治時代には、国際法に則って堂々と外国と渡り合った事例があるのに、終戦後にそう言う話を聞かないのは本当に不思議です。現代においては、日本政府はアメリカの言うことには逆らわないのが当然と化し、国民もそれでよいと考えているようです。韓国が始終、アメリカと対立し、ミサイル防衛も自前で用意する覚悟なのと比べたくなります。


ロックンロール

 映画「プラトーン」の中で、トム・ベレンジャーが演じるバーンズ曹長(字幕では曹長ですが、本当は二等軍曹です)が待ち伏せ攻撃に出かける前に、部下に「ロックンロール」と命じるシーンがあります。その影響と思われるのですが、ある戦争漫画で「ボルトをロックンロール」というセリフが、ボルト(遊底)を引いて初弾を薬室に装填し、いつでも撃てるようにするという意味で用いられたことがあります。しかし、これは誤りです。「ロックンロール」のスペルは「rock'n'roll」です。「rock」にも「lock」にも、ボルトを引くという意味はありません。本当に該当する言葉は「cock」なのです。これは撃鉄を意味する名詞ですが、撃鉄を起こすという動詞でもあります。自動小銃は弾を装填すると自動的に撃鉄が起きます。

 ロックンロールは「フルオート射撃」のことで、バーンズは安全装置をフルオート射撃の位置にせよと言っているのです。フルオート射撃は、引いた引き金を戻すまで弾を連射し続ける射撃方法で、安全装置のレバーで設定します。バーンズが弾を装填しながらこのセリフを言ったために、ロックンロールは弾の装填を意味するという誤解が生まれたのでしょう。

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