コラム:2006年を振り返って

2006.12.31



 今年を振り返ると、北朝鮮のミサイル発射や核実験があり、色々と大きな出来事がありました。しかし、日本に対する直接的な武力行使はなく、そういう意味では幸運だったと言えます。

 むしろ、問題はそういう幸運を利用して、日本が国際平和に貢献することをやろうとしないことです。安倍総理はイラク支援を継続すると言っていますが、もともと、これはアメリカの意向に従ったものであり、戦争制作の一環として行われているため、我が国の自主的な国際貢献とはまったく違うものです。現に、自衛隊が置いてきた医療機器はすでに使えなくなっているものが出ているといいます。こんな意味のない支援政策に自衛隊員が命を張ったわけです。日本政府にとって、支援はただのイベントであり、アフターフォローは関知しないのです。

 日本がやるべき国際貢献とは、穏健な国家との緩やかな連帯を形成し、直接的な見返りのないような地域においても、戦争で被害を受けている人たちの支援や戦争を防止する為の支援策を講じるべきです。現状は、自国の安全保障の観点だけから必要以上の対米追従に走り、それを国際貢献だと言いくるめているのです。「それで良いのだ」と断言したのが小泉純一郎氏でした。彼が「日米同盟」という言葉を定着させ、国民もそれに従ったのは本当に不気味なことでした。

 21世紀においても、戦争は国民の無知から起きています。今年は戦争映画が流行った年でもありました。「男たちの大和 YAMATO」「出口のない海」のような作品が公開されてヒットしました。これらの作品は、戦争を賛美するものではないと言いながら、やはり戦争賛美につながる内容でした。こうした作品を見て、軍事を知った気分になるのは非常に危険です。映画は観客の理解を得やすくするために普遍的無意識に訴えようとします。つまり、誰もが持っている感情をテーマに据えるのです。こうした作品で特別攻撃隊を描けば、観客の多くは意識しないままに戦争を肯定するようになります。映画のテーマにするのなら、戦争に間する盲点を選択した方が興味深い作品になります。しかし、映画を制作する人たちがすでに戦争を知らない人たちばかりで、いまさら勉強するつもりもないように思われます。

 こうした状況では、簡単な嘘で日本国民を戦争に導くのは簡単でしょう。それを防ぐのは、やはり軍事を知る国民が増えることです。しかし、そういう事柄を勉強すると、自分が戦争を好きになるのではないかという抵抗感を持つ人がおり、知識の普及を妨げています。私は、そういう人は戦争を愛せばよいのだと思います。そんなことで戦争が好きになるようなら、もともと戦争が大好きな人間だったことに他なりません。国際人道法など、戦争のルールやその被害からの救済に関する法律を勉強する上でも軍事知識は必要です。国連の活動を理解する上でも軍事知識は不可欠です。つまらない杞憂をするよりも、国際平和を考えるために軍事問題を研究していくことの方が遙かに重要なのです。

 こうした状況が来年は少しでも改善されることを願って、私は年を越すことにします。

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