昨日送付された「福田内閣メールマガジン」に石破防衛大臣が「テロとの闘い」に関して寄せられた読者の皆さんからの質問に答えています。なぜか、その質問がどんな内容なのかは書かれていません。ともかくも石破大臣が「テロはなぜ起こり、どのようにテロを防止するか」について答えているので、それに関する投稿があったのだろうと思います。
しかし、その内容がまったくの手前味噌で、苦笑させられました。まずは、全文を読んでください。
[防衛大臣の石破茂です。]
テロの本質について(防衛大臣 石破茂)
今回は「テロはなぜ起こり、どのようにテロを防止するか」についてお話します。
テロとは一般的に「低いレベルの攻撃を無差別、無原則に繰り返すことにより、恐怖の連鎖と人心の動揺を発生させ、体制を脆弱化させて己の目的を達成しようとする行為」と定義付けられます。貧しい専制独裁国家にテロはあまり起きず、民主主義が確立し、経済的に豊かな国にテロが起こりやすいことからもわかるように、圧政や貧困がテロの本質的な原因なのではありません。
「民主主義や物質文明は堕落している。自分たちの望むような体制(たとえば「特定の思想・信条・宗教による国家体制」)が確立されなくてはならない」と信じている人にとっては、権利の保障も、民主主義も、豊かで幸せな生活も全否定されるべき対象なのです。しかしそのような主張は到底受け入れられないため(麻原彰晃以下のオウム真理教幹部が平成二年の総選挙に出馬し、全員大惨敗しました)、彼らには不満が鬱積します。「民主主義によっては自分たちの理想は達成できない」「さりとて国家を転覆させる軍事的な力もない」「もうテロを起こすしかない」、そのような思考プロセスと考えられます。
テロとの闘いにあたっては、国家が「我々の価値観を全否定するテロ行為は絶対に許さない」という決然たる意思を示し、それを国民が支持することがなによりも大切です。人心がテロの側に共感を持つことがないよう、民生の安定・向上にも配意しなくてはなりません。我が身の安全と引き換えにテロと妥協することは弱さの現われであり、テロリストの要求はさらにエスカレートするでしょう。「テロと闘わない」ということはテロを起こす側から見れば「格好の標的」とみなされることにしかなりません。
主体が主権国家であり、互いに最大限の力で戦い、最終的には平和条約の締結により終結が明確である伝統的な「戦争」と、主体が不明確で、低烈度の無差別攻撃を繰り返し、懲罰的抑止力が機能せず、目的を達成するまで終結させる気のない者を相手とする「テロとの闘い」とは本質的に異なるものなのです。だからこそこの闘いは長く、非常な困難を伴うのです。
インド洋における海上自衛隊の補給活動は、日本国の「テロと闘う」意思表示として非常に大きなメッセージでした。我々は出来るだけ早くこれを再開し、誤ったメッセージをテロリストや国際社会に伝えないようにする必要があるのです。
テロリストに対して「日本にテロ攻撃を仕掛けても国民は動揺しないし被害も出ない」ということ(拒否的抑止力といいます)を示すこともまた重要です。そのためには、国民保護法制に基づく避難・防護体制を、日頃の訓練も含めて確立するとともに、生物・化学兵器を使った攻撃にも対処できるようにしなければなりません。テロとの闘いは情報戦でもあります。多くの国々と連携して、テロに関する情報収集を強化しなくてはなりません。
このような本質論をきちんと理解することは大変重要なことだと考えています。これからもご意見をお寄せください。
前にも書きましたが、学術的なテロの定義は石破氏が言うものよりも、もっとシンプルです。テロリズムは暴力と暴力の脅威よって生じるということ以外、人によって意見は分かれます。たとえば、トルコ人から見ればクルド人はテロ組織です。しかし、クルド人から見れば、トルコ人はテロリストです。トルコは国連にも加盟している国家だから、テロ組織にはあたらないという意見は政治レベルでなされるだけで、戦争を客観的に観察する軍事専門家の見地とはずれています。アメリカがイランをテロ国家に指定しても、クルド人のPKKをテロ組織に指定しないのは、そうすると具体的な行動を要求され、アメリカはそれを避けたいと考えているからです。こうした政治的な理由で解釈はどうにでも変わります。だから、定義に含めることは避けるわけです。政府レベルで使われる言葉には、こうした曖昧な定義が使われがちで、石破大臣もそれにならっているわけです。(関連記事はこちら)
百歩譲ってこれは認めてあげるにしても、その次は到底納得できません。テロが「貧しい専制独裁国家にテロはあまり起きず、民主主義が確立し、経済的に豊かな国にテロが起こりやすい」「圧政や貧困がテロの本質的な原因なのではない」という意見は初耳です。
現在、テロが多発しているパキスタンは正に貧しい専制独裁国家ではないでしょうか。そして、こうした国にテロが多く、民主主義が発達した国にテロが少ないことは、特段に議論を要しないことではないでしょうか。民主国家でテロが多発している国が一体どこにあるでしょうか。石破大臣は、先般の国会で野党議員から散々「テロの原因は貧困だ」と言われたものだから、ここで反論しているのかも知れません。しかし、その主張は明らかに誤っています。貧困がテロの原因だということは、多くの人びとが主張していることで、そうした意見を見つけるのは難しくありません。米政府系研究所の専門家、民間の軍事専門家、から軍事ミステリーの作家まで、様々なタイプの軍事に通じる人たちが、そう主張しています。民主国家でテロが多いと言うのなら、石破大臣はその理由を説明すべきでしょう。
また、石破大臣は、テロの例としてオウム真理教事件をあげていますが、オウム真理教はテロ組織と呼ぶには幼稚すぎます。彼らは、確実に成果を出せる武器らしい武器を持っていませんでした。サリンは確かに強力でしたが、それ以上の武器はなく、着手していた自動小銃の開発は不成功で、ロシアから手に入れた軍用ヘリコプターは飛ばず、警察庁長官を狙撃した拳銃を持っていたことくらいしか確認されていません。警察力で十分に対処できる能力しか持たない組織をアルカイダのような国際テロ組織と同一視することはできません。オウム真理教と同じレベルのテロ組織はアメリカ国内にも存在しましたが、いずれも警察力で封じ込めで成功しています。なぜ、石破大臣がオウム真理教を例に挙げたのかは、単に読者の賛同を得やすいからとしか思えません。まだ記憶に新しい惨劇を思い出させ、こみ上げる恐怖を利用して、自分の意見に同意させる手法です。これは、「買わないと死ぬ」といって、二束三文の壺や印鑑を売りつける霊感商法と変わることがありません。それも初歩的なやり方です。今時、こんな手が通用すると思っているのが信じられません。
石破氏はよほどテロ戦争と正規戦の間に線引きをしたいと思っているようですが、普通、軍事専門家たちはどちらも同じ暴力行為とみなしています。同様に、正規軍とテロ組織は区別はできても、どちらも同じ暴力によって目的を達成しようとします。それを無視すると正確な分析を損ねることになりかねません。石破氏がこういう説明に執着するのは、実は軍事活動を正当化する自らの主張に自信がないからに他なりません。