ティルマン戦死に関する報告書が公表される
2007.3.27
2007.3.28 午前1時 追加・修正
一部誤認があったので追加・修正しました。
military.comによると、パット・ティルマン伍長(戦死時は技術兵)の戦死に関する報告書が公表されました。(報告書はここからダウンロードできます)
しかし、この報告書は実名の部分は伏せ字になっています。現場にいた兵士の一部の名前は、すでに報道で出ているので、今さら隠してもとは思いますが、これが政府の規則です。結局、犯罪になるような過失はなかったと結論されました。
報告書の結論文を読んでみましたが、すでに報道されていることと大差ありません。また、アフガン軍の兵士に責任を押しつけている感じがあります。
結論
04年4月22日、第75レンジャー連隊第2大隊A中隊に所属する1個小隊は、アフガニスタンのマナハ村の近くで監視作戦を遂行していた。移動中、彼らの車両の1台が使用不能になった。壊れた車両を引っ張り出す連携作業が失敗した後、小隊を分割する決断が下された。隊列1は分離して監視作戦を始めるよう任務を課され、隊列2は地元の「ジングル」トラックの助けを借りて、移動不能の車両をピックアップするために事前に指定された場所へ運搬する任務を課された。
2つの隊列が分離した後、地形を確認するために、隊列2はそのルートを変え、隊列1が確認済みのルートに入った。隊列2の隊員はルートの変更を連絡したが、地形のために、彼らの通信は受信されず、隊列2は事件が起きた後まで隊列1と交信しなかった。
渓谷を移動中に隊列2は待ち伏せされ、敵の戦闘員と銃撃戦を始めた。隊列1は同じ渓谷を無事に通過し、隊列2の前方約1,000メートルにいた。銃声と隊列2からの断続的な無線通信を聞いた時、隊列1は車両から降り、隊列2が待ち伏せから脱出するための監視と火力支援を提供するため、徒歩でよりアドバンテージを得られる位置へ移動した。ティルマン伍長は配置につき、上等兵1名を岩肌の丘に配置させ、敵の位置に対して火力を向けた。AK-47で武装したアフガン軍の兵士ターニは、ティルマン伍長の隣にいたが、その指揮下あるいはティルマン伍長の支配下にはなかった。アフガン軍兵士ターニは隊列2が渓谷の待ち伏せ地域をほとんど切り抜けるワジ(水のない川)を越えて無作為に敵の位置を攻撃したといわれる。隊列1は隊列2へ自分たちの位置を通知するために無線で連絡するのに失敗した。隊列2の先頭の車両が渓谷を出た時、ティルマン伍長の位置が視界に入り、隊列1の位置を知らない車両上の隊員は近接した地域におり、彼らが敵の戦闘員(ターニ)がAK-47で彼らの車両の真上を撃っていると考えたものに気がついた。それから最初の車両に乗っていた隊員はアフガン軍ターニとティルマンの位置とその周辺に向けて撃ち返した。隊列2の隊員がその地域の友軍の位置を特定した後、発砲は中止された。現場を捜索し、ティルマン伍長とアフガン軍ターニが致死性の怪我を負い、他2名の米兵が負傷したことが明らかになった。
確認事項
調査は、隊列2の隊員は過失殺人や加重暴行に加担しなかったと認定した。ティルマン伍長とアフガン軍のターニは事件の中で殺害されたが、隊列2は彼らが敵の攻撃下にあり、敵の戦闘員に対して撃ち返したと信じていたと認定される。極度の状況と圧迫された時間の中で、隊列2の隊員は死や危害は彼らに対して向けられており、自分自身を守る必要があると信じる理解可能な信念を持った。
視界の悪さ、隊列同士の通信の途絶、アフガン軍ターニの予期せぬ存在が事件にさらに寄与した。事件に先だって、アフガン軍兵士はこのレンジャー小隊の火器チームの隊員に統合され、訓練されなかった。ティルマン伍長とアフガン軍兵士ターニの死、同様に他2名の米兵が受けた負傷が友軍の攻撃によって起きた立証する圧倒的な証拠が存在する。