軍事問題には直接の関係がないことですが、メディア・リテラシーに関することで、軍事分析に応用できることについて書きます。そのために2件の事件を例に引きます。
警察官の学生殴打事件
先日、電車でふざけた学生を平手打ちにした警察官が逮捕された件について、警察官を支援する意見が多数警察に寄せられたという事件がありました。この事件で警察官を支持したいと考えた人は、最初の報道記事を読み返してみて欲しいと思います。5日付の毎日新聞の記事は以下のとおりです。
4日午後10時50分ごろ、横浜市旭区鶴ケ峰2の路上で、横浜市旭区川島町、神奈川県警大和署刑事1課の巡査長、小磯慶洋容疑者(33)が県立高2年の男子生徒(16)が持っていた拳銃形のライターを取り上げて捨て、顔を数回平手打ちした。男子生徒は軽傷を負い、通行人の110番で駆けつけた県警旭署員が小磯容疑者を傷害容疑で現行犯逮捕した。
県警監察官室の調べでは、小磯容疑者は事件直前、男子生徒と同じ相模鉄道に乗車。男子生徒が回転式拳銃の形をしたライター(全長36センチ)を乗客に向けていたため、鶴ケ峰駅で下車後に「いたずらしてはだめだ」と注意したところ口論になった。小磯容疑者は大和市内で同僚と酒を飲んで1人で帰る途中だった。「いたずらをしていたので注意するつもりだった」と供述しているという。
小磯容疑者は、事実関係を認めており、県警は逃亡の恐れはないとして釈放した。増子吉勇・県警監察官室長は「事実関係を厳正に調査したい」とコメントした。
私はこの記事を読んだとき、情報が足りなすぎて警察官の行動の是非は判断できないし、不審な点を認めるという結論を出しました。警察官が職務意識で行動するのなら、駅員が注意しているときに申し出るのが普通ですが、警察官は同僚と酒を飲んだ後でした。酒を飲んだ男が下車した学生を追いかけて平手打ちにしたとすれば、どうみても異様な光景ですし、逮捕されてもおかしくない状況といえます。冷静な判断をする警察官なら、駅員が学生を注意している時に出て行くでしょうし、酒を飲んでいるときなら出て行かないかもしれません。「いたずらをしていたので注意するつもりだった」という警察官の証言は、彼が酒酔い状態であったことから信用できません。記事からは警察官がどれだけ酔っていたのかは分かりませんが、当人が酔った状態で学生に注意しようとした時点で、冷静な判断ができない状態だったと推定できます。「いたずらしてはだめだ」と注意したところ口論になった」という記述も、警察発表を元に記者が状況を再現したものであり、正確性に疑問があります。この種の情報は調書の一部を抜粋して公開され、それを記者が話が通じるように編集して掲載されるものです。だから、記事の上では話が実際とずれてしまう危険性があるのです。それから、普通この手の事件を警察は隠したがるものだという既成事実にも注意すべきです。あえて警察官を逮捕したのは、明確な犯罪行為であったと警察が判断し、逮捕しないと後で批判を浴びると判断したからと推定できます。だから、記事に含まれている情報は不十分であり、まだ知るべき事が報じられていないと考えるべきです。
案の定、警察は異例の追加会見を開き、事実関係を訂正しました。そこで警察官は平手打ちを3回も行ったことが分かりました。新たに分かった「高校生は駅員らに注意を受けて素直に従っていた。巡査長はいきなり高校生の髪の毛をつかんで殴った」「生徒の髪を後ろからつかみ『拳銃を出せ』と命じたうえ平手打ちしたという」という記述からは、正当な職務執行とは言えない私的制裁行為だったことが明白になりました。警察官であることも名乗らずに、無抵抗の相手をいきなり叩いたのでは、単なる暴力行為です。やはり警察官は酔っていたために冷静な判断ができない状態だったと考えるのが妥当だということになります。
警察には警察官を支持する意見が1,000通以上届き、Yahoo!が行ったアンケートでは、98%が警察官の行動を理解できると回答したと言います。多くの人が勇気ある警察官と思ったのでしょうが、最初の記事をちゃんと読んだのかは非常に疑問です。こんな行為を勇気ある行為とするのなら、その判断基準を疑わざるを得ません。
橋下弁護士懲戒請求事件
山口県光市・母子殺害事件について、橋下徹弁護士が5月に読売テレビの番組に出演した際、弁護団の懲戒処分を弁護士会に求めるよう視聴者に呼び掛けたため、3,900件もの懲戒請求が出されたことについて、当事者の弁護士たちが橋下弁護士を損害賠償で訴えました。
橋下弁護士の発言で懲戒請求を出した人、それには至らなかったものの懲戒請求を出したいと思った人は、明らかに扇動されやすい人だと言わざるを得ません。
橋下弁護士は以前からマスコミ報道だけを根拠にして事件をコメントすることが多いのですが、これは法律のプロとしての弁護士としては失格です。マスコミが報じるのは事件のほんの一部です。裁判のために作成されるすべての証拠は通常膨大なものになり、彼はそれを知っているはずの立場にあります。そもそも、刑事裁判に出される証拠類は、警察が集めた証拠のすべてですらないということも橋下弁護士は知っているはずです。警察は容疑者を有罪にできる証拠だけを提出するため、無罪を立証する証拠は隠されるものなのです。弁護士が裁判官に警察が持っているはずの証拠を提出するよう求めても、裁判官はそれを却下するのが裁判の常で、私は実際にそういう場面を傍聴席から見たことがあります。裁判を傍聴したところで、それぞれの証拠類がどんなものなのかは大抵は実際に見られず、公判の様子を見ながら推測するしかありません。そうした裁判の実態を考えると、マスコミが報じたことだけを根拠として事件を語ることは極めて危険なのであり、橋下弁護士がそれを分からないはずはないのです。私自身、報道内容を実際に調べて、報道とまったく違った結論に至ったことがあります。それでもあえて橋下弁護士が発言したのは、出演した番組が「たかじんそこまで言って委員会」で、番組を盛り上げようとしたためでしょう。その証拠に彼は自分では懲戒請求を出していません。橋下弁護士が本気なら、発言する前に自分で懲戒請求を出してもおかしくはないのです。
私は被告の元少年を擁護する気はまったくありません。彼がやったことは人間のクズがすることとしか思っていません。しかし、犯行の残虐さを理由に自らの怒りを燃え上がらせるのは誤りであるとも考えます。怒りの感情を甘やかせていれば、いつか怒りに操られ、自分を制御できなくなるものです。修羅道に落ちる危険性を考えれば、怒りにまかせて行動に走ることは慎むべきです。現在、被害者から加害者への報復論理がマスコミを通じて報じられる事例が増えていますが、こうしたことは大衆の間に凶暴性を増し、前述の警察官学生殴打事件のようなヒステリックな事件を増長させるだけです。それが理想だとするなら、イスラム教の報復原理を肯定する社会を称賛しなければいけなくなるでしょう。
また、元少年と弁護団を同一視することも間違っています。両者はまったく別の個人であり、それぞれに分けて考える必要があります。私は弁護団の活動に強い不快感を感じたことがあります。弁護団が犯行の模様をイラストで再現したとき、加害者と被害者の位置関係が分かるイラストで十分なのに、被害者の顔にそっくりなイラストを用いたことは、被害者の関係者に強い憤りを感じさせたのではないかと懸念しています。最高裁の口頭弁論に出席せず、裁判を遅らせたことも強い不快感を感じましたが、これについては判決に何の影響も及ぼさなかったということで、事実上、無意味な工作に終わっています。よって、私はいずれも懲戒請求に至るような問題ではないと考えています。法律上に認められている行為を行ったことで懲戒が成立するとすれば、弁護士活動に支障を来すことになるのは間違いがなく、これは一般市民が弁護士を必要としたときに、十分な弁護活動を受けられない危険を増やします。
もし、弁護士が悪党ならば、検察官や裁判官だって悪党です。いや、弁護士以上に悪を成し遂げるチャンスを持っていると言えるでしょう。検察官は捜査に関して強制力を持っており、裁判官は裁判を思うままに指揮する権限があるからです。それらの権限を使って彼らが重大な悪徳行為を働いた事例があります。最も権限が小さいのは弁護士であり、なせる悪も最も小さいと言えるでしょう。マスコミは立場上、検察官や裁判官がやった悪行は報じません。単に、弁護士が表に出ることが多く、目立つことが多いだけです。そういう意味でも、橋下弁護士が批判したことは実は弁護士が置かれた立場を批判することであり、同じ弁護士である橋下氏にとっては自己矛盾でしかありません。
こうしたことを考察すれば、橋下弁護士の薦めに従って懲戒請求を出した人は、思考する前に扇動されてしまう人たちであり、成熟した民主主義国家にとっては極めて心許ない人たちだと言うことができます。懲戒請求を出した人たちがどのような懲戒理由を申し立てたのかは分かりませんので、弁護士会がどういう処分を出すのかは分かりませんが、大したことにはならないだろうと思います。また、橋下弁護士に対する訴訟も、弁護士同士の諍いを裁判所がまともに取り合うとは思えないので、大した話にはならないでしょう。
現代においては、マスコミが大衆の怒りを扇動する報道手法を使うので、大衆がそれが正常な状態と思うようになっています。それが大衆のヒステリー傾向を助長し、些細なことで暴力事件に発展する危険はないでしょうか。最近、些細なことで人を殺す事件が増えているのは、そのせいかもしれません。報道に接する場合、記事の向こう側にあるものを想像しながら読み、過去の事例などと比較して解釈するよう務めるべきです。
このことは、特に軍事問題を考える上で重要です。つまり、日常的な報道記事を読む手法は軍事問題の分析にも応用しうるのです。「テロは悪」だから「自衛隊をイラクに派遣するのは正しい」と考える前に、イラク侵攻がアルカイダの殲滅に本当に役に立つのかを考えるべきです。
私たちに必要なのは「情報を考えながら読み解く習慣」なのです。