第101空挺師団にPTSDが拡がる

2008.12.1



 military.comが第101空挺師団に広がるPTSDについて報じています。その被害は予想以上に広がっています。

 同師団の5人に1一人がPTSDにかかっているという予測に直面し、同師団が駐屯するキャンベル基地では、心理療法のスタッフを2倍の55人に増やしました。陸軍は、この基地の経験を繰り返される海外派遣による長期間の影響を評価するのに活用する予定です。帰国をはじめた第101空挺師団の3個戦闘旅団は、少なくとも3度のイラク派遣を経験しました。第3旅団は、戦争の初期にアフガニスタンにも7ヶ月派遣されました。来春。第4旅団はアフガンでの15ヶ月の派遣から帰還します。現在のところ、約10,000人が帰還し、残りは来年1月末までに帰国します。63,600人以上の陸軍現役兵がイラクかアフガンに3回以上派遣されました。少なくとも1回派遣された兵士の総数は12%近くになります。戦争に行った約10人に4人の兵士は少なくとも1回の派遣を完了し、この数字は徐々に増えつつあります。帰国した兵士は行動保健学の専門家の問診を受け、90〜120日後に二度目の問診を受けます。二度目の問診は主にPTSDの診断が行われ、こ問診は帰国時の陶酔感が消え、不眠や悪夢など、ストレスの兆候が現れる時です。彼らの対人関係、経済、結婚に関する問題はすべてPTSDに関連しています。15,000人中3,000人以上の帰国した兵士は、頭痛、睡眠障害、過敏症、記憶喪失、対人関係の問題などを経験していると推定されています。同師団は、PTSDを被った兵士の85%は回復しますが、15%には集中的な援助が必要だとみています。

 現代には「歴戦の強者」は存在しないというのが軍事の常識となっていますが、このことはなかなか理解されません。日本の戦国時代の戦争は、まだしもストレスは少なく、戦闘を繰り返し経験することで腕を磨くことができたのだと考えられます。火縄銃は強力な武器でしたが、まだ攻撃力としては小さなものでした。しかし、戦場にライフル銃が登場することになると、射程と破壊力が飛躍的に向上し、戦術は密集型から散兵型へと変化しました。この頃から戦闘ストレスが顕著になったと考えられています。しかし、ごく最近まで、伝統的に軍隊は戦闘ストレスの存在を認めてきませんでした。PTSDという名称が確定し、第101空挺師団は精鋭部隊といわれていますが、それはPTSDへ対処できることを意味しません。歩兵としての訓練の他に、パラシュート降下の訓練が課されるとか、敵の背後に降下して敵の背後を突き、味方が進撃してくるまで持ちこたえるとか、そうした厳しい任務を指して言われることで、PTSDへの耐性は他の部隊と変わりません。

 米軍はPTSDの存在を認めて以来、医学的な調査を進めてきました。第101空挺師団をモデル師団としてPTSDの調査を行っているのは、軍隊らしいやり方です。派遣回数の多い部隊を選び、PTSDの調査を行って、他の部隊での対策に用いるのです。研究は徐々に進んでいくでしょうが、今後、これは政治的な問題へと発展していくはずです。これからの国家指導者は兵士のPTSDを無視して、戦争をはじめることはできないのです。通常、戦争をはじめる時は、戦争の展望だけが検討され、その被害の検討は二の次です。特に、兵士が被る被害は大ざっぱな死傷者の推定くらいしか行われません。死体袋を何枚用意すればよいかが検討されるだけだと言えば過言かも知れませんが、過去に兵士のPTSD被害まで想定して開戦を決断した国家指導者がいるとは信じがたいものがあります。これから戦おうとする時に、誰が兵士の弱い心のことを頭に浮かべるでしょうか。戦う時には敵に弱みを見せないものです。しかし、こうした考え方が、無用なPTSD患者を生み出してきたのです。これからの国家指導者は、兵士を含め、様々な被害を想定し、その上で開戦を決断するようになるでしょうし、そうならなければいけないのです。

 本日は、もうひとつPTSDに関する記事がありますので、ご参考にするとよいでしょう。


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