清徳丸事件は「防衛省が上手なのは組織防衛だけ」と言わざるを得ない事態に発展しました。石破防衛大臣の辞任は避けられない状勢です。事故そのものも問題ですが、その後の対応はもっと問題です。次から次へと防衛省が公表したことがひっくり返されていったのです。
防衛省はこの事件で嘘を重ねすぎました。航海長が怪我人の付き添いで艦を離れるという、素人が考えても嘘だと気がつく言い訳をしたり、増田好平事務次官が航海長による説明の内容を「記憶にない」と述べるなど、防衛省は嘘つきばかりと言われかねない状態です。
それはおそらく、19日昼頃までに行われた「あたご」の航海長による状況説明がすべての発端でしょう。朝日新聞が「発生直後で流動的だった情報が、外部に出ることで既成事実化し、防衛省が引きずられたのでは」と、防衛省を擁護するような記事を書いています。自衛隊の命令や報告が、このように曖昧なものならば、自衛隊に国土の防衛はできないことになります。航海長の報告は具体的、確定的なものであったと考えるのが当然です。朝日新聞の記事は、明らかに防衛筋のいい加減な言い訳を鵜呑みにしたものに過ぎません。この件で1時間にもわたって航海長が話し続けたというのも疑問です。ベトナム戦争時、イアドラン峡谷の戦いについて、現場指揮官だった大隊長が軍幹部と国防長官に戦況を説明したことがありました。3日間におよんだ包囲戦の説明は、地図とポインターを使い、約15分間で終わっています。複雑な地上戦の説明が4分の1時間で済むのです。船の衝突についての説明だけで、石破大臣が言うように1時間もかかるとは考えられず、質疑応答があったと見るのが自然です。これが報道では、ほとんど航海長だけが喋っていたとなるのですから不思議です。
「どうせ、国防が素人の国民には分からない」という防衛省の傲慢が感じられます。それと共に自身の欠如も感じられます。航海レーダーが最初から漁船群を探知していたことが明らかになり、防衛省は「これでは国民に説明できない」という自信喪失状態になったのだと見るべきです。
石破大臣が、自分も報告を聞いていたのに航海長を呼んだ海自を批判したり、「あたご」乗員とは接触していないと嘘をついたり、事実と違う発表をした増田防衛次官を処分する方針を決めたり、支離滅裂な行動を繰り返しています。嘘がばれると「公開すべきものは公開する」と、情報公開に条件をつけました。この事件は海難事故であり軍事的な要素はほとんどありません。そこに非公開にすべき事柄はほとんど見当たらないのです。「俺は防衛の専門家なのだから、公表すべき情報は俺が選ぶ」と石破大臣は言うのでしょう。よく言えたものだと呆れかえります。彼が寛大な意見を披瀝していても、それは自分に害が及ばない限りにおいてでしかないことが、今回の事件でよく分かりました。こういう彼の性格は、今後、彼の政治活動を観察する上で忘れてはならない要素となりました。
事情通の外国人たちは、清丸事件の事後処理の経過を見て笑っていることでしょう。迷走する防衛大臣、記憶喪失症の事務次官。酒席の肴になる話題がたっぷりと揃っているからです。海外から見られているという意識が防衛省にはないのでしょう。