また、議論を呼びそうな話題が出てきました。military.comによれば、PTSDの患者に名誉負傷章を与えるべきかという議論が湧き起こっています。勲章の名前は「心」を含んでいますが、受勲対象に精神的な傷を含まないという皮肉な議論です。
まず、この勲章について基本的な事柄を見てみましょう。名誉負傷章(Purple Heart)は負傷した兵士に与えられる勲章として知られています。紫色のベースの上に、金色のジョージ・ワシントン大将の横顔が配置されています。元は、アメリカ独立戦争時にワシントン大将が制定し、1932年に米陸軍が復活させて、負傷した軍人に対して与えることになったものです。オリジナルの勲章は現存する記録によれば、たったの3人にしか与えられませんでした。1932年にこの勲章が復活したのは、ワシントン生誕200年記念の年だったためでした。第二次大戦中は負傷兵と功績のあった兵士の両方に対して与えられましたが、その後、受勲条件は負傷兵だけと変更され、その代わりに陸軍だけでなく、すべての軍の部門に拡大され、負傷の原因が戦争だけでなく、平和維持軍活動やテロリストの攻撃、友軍の攻撃による負傷にまで拡大され、恩典も付加されていきました。しかし、現在の陸軍の規定は、PTSDを負った兵士にまで名誉負傷章を与えることを認めていません。
これに対して、陸軍でPTSDを扱っている医師が、PTSDの患者にパープルハートを与えると、障害を恥じる心を克服するのに役立つとジョン・E・フォルトゥナート(John E. Fortunato)は言います。このアイデアをフォルトゥナートから聞いたロバート・ゲーツ長官は「面白いアイデアだ。はっきりと調査されるべきことだ」と述べたといいます。この反応は形式的で、本音ではあまり関心を持っていないように聞こえます。記事に引用されている兵士の意見も否定的です。自分の父親が戦争でPTSDを負ったという兵士も、父親が名誉負傷章を受勲すべきだったとは思わないと述べています。
戦死した兵士は無条件で英雄として扱われ、場合によってはほとんど「神」か、それに近い存在とされます。ところが、負傷した兵士に対して、こうした名誉は一等低いか、場合によっては「ドジを踏んだ兵隊」という扱いを受けます。名誉負傷章は戦傷を受けた兵士に対して与えられ、本人やその家族に怪我が無意味なことではなかったことを教える役目を負っています。この場合の怪我は肉体的なもので、精神的な負傷であるPTSDまでは含まないとするのが、これまでの常識でした。そこに議論を呼ぶ提案をしたのは画期的です。この提案に対しては、「軍は弱虫を讃えるのか」という批判が予測されます。兵士は負傷した時に身体だけでなく、心も病むものです。これには個人差があり、事前教育による予防が多少効果を生むことは分かっていますが、完全に防ぐことはできません。その一例が、宗教要員の米軍将校が、首に被弾した兵士に人工呼吸を施した時に、開口部から自分が吹き込んだ息が血液と共に吹き出すのを見て衝撃を受け、医師の診断を受けたという話です。宗教的な教育により、人間の生死について深い見識を持っていると考えられる人でも、中程度の負荷の修羅場で異常を示すのです。拙著「ウォームービー・ガイド」でも書きましたが、勲章のような軍隊の栄典の類は、戦争をする活力になるので設けられているのです。PTSD患者はすでに兵士としての能力を完全に失っており、戦力にならないとみなされるので、受勲の対象から外れると考えるのです。おそらく、ほとんどの軍人がそう考えるでしょう。しかし、PTSDを治療している医師には別の見方が存在します。その中から、名誉負傷章を与えるというアイデアは、軍隊の文化に新しい変化を生み出す可能性があると、私は考えます。肉体的な負傷でも、軽度な怪我は受勲対象ではありません。PTSDの場合でも、症状に基準を設け、重度の者に対して受勲させる制度を設ける余地があるといえます。たとえば、日常生活を普通におくれない程度の重傷者に対して贈るのです。受勲者の追跡調査も行い、治療にどのような効果があるかを調べるのも価値があることです。
記事にリンクしているアンケートでは、半数以上が「PTSD患者は名誉負傷章を受勲すべきではない」と答えています。