いまさらですが、米陸軍が日曜日に「イラクの占領を達成するには兵数が不足していた」という内容の700ページの報告書を公開したと、military.comが報じました。昨日の、アフガニスタン軍と警察の教官不足に続く、人員不足の話題です。
報告書はフセイン政権が倒れてから18ヶ月の間に何が起きたかを研究しました。米軍は占領後のイラクを、ボスニアとコソボでの任務と同じように考えていました。しかし、テロ事件が続発し、米軍は最初、それに対応する準備がありませんでした。計画立案者は、占領に300,000人の兵数が必要と考えており、侵攻の前にも、侵攻と占領に同じ兵数が必要だと考えられていました。
報告書には他にもあれこれ書かれているようですが、率直に言って、「いまさら」の感しかありません。こんなことは、侵攻の前に分かっていたことで、私は最初から「侵攻は成功するけども、占領はできない」と言い続けてきました。当時、米軍は侵攻に失敗すると主張した人がいて、議論を交わしましたが、それは完全な誤りでした。米軍は3〜4週間でバグダッドを占領でき、その後、ゲリラ戦が起きて退却できなくなることは、多分に予想できたことです。
「衝撃と畏怖」が作戦のテーマだと報じられましたが、その迅速な作戦指揮は、戦闘においてのみ評価でき、戦略においては批判されるべきものだったのです。最前線では補給が切れ、進撃がストップしたりしましたが、それでも督戦命令が出されました。これは敵が対応できないように早く行動するためでしたが、そんなことをしなくても、米軍はイラク軍を打倒できました。しかし、それで戦争が終わるわけではありません。部隊を帰還させるまでが戦いなのであり、その途中で重大な障害が認められるのなら、そういう作戦は実施すべきではありません。問題は、勲章を欲しがった軍人がいて、ラムズフェルドの「バグダッドまで行けるか」という質問に「イエス」と答えてしまったことにありました。5万人程度の特殊部隊を中心とした部隊で行う侵攻作戦が立案されました。当時の統合幕僚議長は、この作戦に疑問を示し、陸軍部隊50万人以上を派兵すべきだと進言しました。ラムズフェルドは統合幕僚議長を批判し、彼は辞任しました。ここで民主主義をやらなくてもよさそうなものですが、ブッシュ政権は両者の顔を立てたのか、両案を混ぜたような作戦を承認しました。
「衝撃と畏怖」作戦は完全に間違っているとはいえないものの、優先順序では下位の作戦に過ぎません。考察の途中で出てはくるけども、実行されるはずのない作戦です。私は、当時でもかなりの数の米軍人が、この作戦に懐疑的だったはずだと考えています。
ブッシュ政権が北朝鮮に歩み寄りの姿勢を見せているのは、2003年頃のブッシュ大統領を見ていると、あり得ないことです。すべてのテロ組織を破壊するのだと息巻いていた大統領も、その後の経過を見ると、妥協せざるを得なくなったのです。アメリカの毎度のパターンで、最初は敵対者に厳しい態度をとりますが、うまく行かないと分かると妥協に転じるのです。だから、アメリカになびきやすい日本人の中には、この初期のアメリカの態度にシンクロしようとして、見苦しいまでの主張を展開する人がいます。やがて、アメリカが掌を返すと、いつの間にか、彼らもそれに従っています。こういうアメリカの腰巾着のような行動をする人は、実は日本国民にとって非常に危険な人です。
今回の報告書は、米陸軍の公認戦史として記録され、この作戦の評価を定めるものです。大統領府の決定を米陸軍が「誤りだった」と指摘しているわけで、ブッシュ大統領には頭が痛いはずです。しかし、ミスを隠そうとして嘘の事実を残せば、将来の軍人たちの判断も誤らせることになります。こればかりは曲げるわけにはいかないのです。