「ペシャワール会」の伊藤和也さんがアフガニスタンのジャララバードで誘拐・殺害された事件は、情報が錯綜し、コメントが遅れてしまいました。
このサイトで何度も紹介していますが、アフガン東部はタリバンの活動が活発化し、米軍の前哨基地が攻撃を受けて被害が出ている地域です。2004年4月に、イラクで日本人3名が誘拐された事件は、本来は通行できたはずの場所が、米軍の掃討作戦が始まったことにより、一時的に危険な地域となったものであり、その点で今回の事件とは性質が異なります。「ペシャワール会」からも、認識が甘かったとの見解が出ています。
不思議なことに、今回は自己責任論は噴出しませんでした。2004年の事件の場合、危険なイラクに行ったことが問題視されましたが、この事件に比べると、伊藤さんがいた地域の危険度は遙かに危険です。小泉純一郎氏は2004年の事件当時、被害者の3人を批判しましたが、今回の事件では福田総理は殺害犯を批判しました。また、天皇皇后両陛下は予定していたコンサート観賞を取り止め、「ペシャワール会」に弔意を伝えたということです。
日本社会が示した反応は、当時とはまるで違います。ということは、自己責任論は「危険な場所に行ったこと」が根拠ではなかったということです。元々、この議論は何の根拠もなく、議論に値しないと私は考えています。だから、どうでも良いこととは思いますが、当時、自己責任論を主張した人たちは、今回の事件について所見を、それこそ自己責任において、説明すべきでしょう。しかし、またくだらない珍説を主張されても詰まらない話かも知れません。
「ペシャワール会」はタリバンよりも早くにアフガンで活動をしており、そうした組織までが狙われるのは非常に残念なことです。対テロ戦争がはじまって以来、それまでは殺されることはなかったジャーナリストや赤十字社職員、NGO職員が狙われるようになり、国際的なモラルは著しく低下しています。そこへ今回の事件が起きたということは、もはや戦争のルールは地に落ちているということです。
伊藤さんが殺害された状況について、情報が錯綜し、どれが本当なのかは結論できません。中村医師が目視で確認した銃創の情報(左足の十数発の銃創、腹部の1〜2発の貫通銃創、後頭部の挫滅、顔面の打撲痕)が、現段階で最も詳しいのですが、言うまでもなく、これだけでは不十分なので、司法解剖が必要です。ただ、これらの傷は、攻撃者がかなり慌てており、理性を欠いた状況だったことを窺わせます。中村医師は「腹部の銃弾で動脈が切れ、死亡した」と推測していますが、ワシントン・ポストによれば、現地の警察広報官は「攻撃者が岩で頭部を強打したのが死因」だと述べています。私もこちらの見解が適切だと思います。つまり、犯人は伊藤さんに銃弾を沢山撃ち込んだ挙げ句、うつ伏せに倒れた伊藤さんの後頭部を岩で叩いて絶命させたのです。顔面の傷はその時に地面に接していて、後頭部に加えられた圧力によってついたとも考えられます。殺害方法としては、かなり滅茶苦茶です。伊藤さんが死の直前に苦痛を感じたことは間違いがありません。
これが戦争というものだと、日本人はよく認識すべきです。2004年の誘拐事件で被害者を批判した人たちの反応は、厳しい戦争の現実に比べると、子供のヒステリーのようなものでした。現在は、グルジア紛争もあり、戦争の凄まじさというものが、少しは理解されてきているようです。伊藤さんの死から感じる、この陰惨な感情を、我々は忘れてはなりません。だからこそ、戦争を防ぐために、戦争のことをよく知らなくてはいけないのです。誰かを非難して済む問題ではありません。そう考えることが、伊藤さんのこれまでの尽力に対する敬意だと信じます。なお、日本政府が伊藤さんの死を、新テロ対策特別措置法改正に利用する動きを見せています。これは重々、警戒しなければなりません。