訃報 江畑謙介氏が死去

2009.10.13

 軍事評論家の江畑謙介氏が10日に亡くなったという訃報に接し、驚きを感じました。60歳という若さで亡くなるとは、本当に残念です。

 江畑氏の評論は兵器に関することではとても信頼が置けました。彼は湾岸戦争の時にデビューしたと記憶しますが、この戦争では用兵が眼目だったのですが、江畑氏はその分野については発言を控えていました。軍事評論は極めて幅広い分野で、すべてについて熟知する人はほとんどいません。ところが、日本では軍事評論はもっぱらハードウェアを語ることとみなされていて、戦争の全体像を考えるパワーに欠けています。江畑氏が兵器の解説に秀でていたために、軍事評論に対する誤解はより進んでしまった気がします。湾岸戦争当時、あるテレビ番組では、アメリカとイラクの主力戦車の最高速度や射程を一覧表にして紹介していましたが、こうしたデータから戦争の結末は分かりません。まず、戦場の地図をよく分析し、戦例を元に考察しないと、戦況予測は出てこないのです。こうして、湾岸戦争では、戦況については誰も語ろうとせず、外務省は地上戦が始まると、衛星テレビをみながら「情報がまったくない」と言って、結果が出るのを待つという体たらくでした。私は開戦前にニフティサーブ(当時の名称)のフォーラムに戦況予測を発表し、作戦のコンセプトと戦闘日数と損害について、おおむね的中させることに成功していました。地上戦の時には、すでに終戦がどのような形になるかを考えていたものです。特に、この戦争が短期戦になるという予測を、事前に表明した人はほとんどいなかったと記憶します。当時、私にはそれが非常に不思議でした。

 また、インターネットなどで江畑氏の信者みたいな人の発言を見ると、これらは江畑氏に対してむしろ失礼だと感じます。江畑氏が間違いをひとつも言わないかのような絶賛は、様々な軍事評論を目にする者としては、強い違和感を感じるのです。軍事の専門家で間違いを言わない人はいません。私が信頼している内外の専門家でも、誰もがどこかで間違いを言っています。このサイトで分析レポートを紹介しているミサイル専門家のチャールズ・ビック氏と私が知り合ったのも、彼のレポートのミスを私が指摘したのがきっかけでした。単なる間違いを指摘するだけでは意味はありません。私はレポートの間違いを放置することは、この素晴らしいレポートに対して失礼だと思ったから指摘したのです。その結果、彼の貴重な分析結果を日本に紹介するというチャンスが生まれました。他人の軍事評論を批判する時、単にミスを指摘して満足するとか、中傷を目的として行うのは、無意味で恥ずべき行為です。

 なぜ、特定の軍事評論家に熱狂的な信者が生まれてしまうかと言えば、それはやはり、ごく限られた軍事情報ばかりが流通しているからでしょう。日本の軍事メディアの多くは、あまりにも狭い範囲でしか軍事問題を語ろうとしません。その結果、ハードウェアに詳しい軍事評論家に熱狂的なファンがつくことになるのです。これは別の問題を生みました。軍事に関心がある人は「軍事マニア」であり、大人になっても戦車や軍艦が大好きな、一種の欠陥人間として扱われることになったのです。このため、軍事評論がまともに世間に受け入れられないという一面を生んだのです。戦争の悲惨さに目を向けることなく、兵器の知識を一種の娯楽として楽しむような人は、どこか神経がおかしいと、私も考えます。実際、私が以前に運営していた掲示板で私を中傷するために発言した人物は、わざわざ自衛官だと名乗って、私を騙そうとしました。文面から見て、彼が本物の自衛官でなく、軍事マニアであることは明白でした。正しいことを主張しようとするのなら、嘘をつく必要はありません。まるで自分の話を大人に聞かせようとして、平気で嘘をつく子供みたいな人物でした。こうした軍事マニアのお陰で、世間の人たちが戦争と平和について考えるのを避けるようになるとすれば、それは大きな損失です。

 多分、すでに江畑氏を神格化して語る人物が出ているはずです。しかし、私は同じ時代に生きた者として江畑氏を見たいのです。


Copyright 2006 Akishige Tanaka all rights reserved.