先日紹介した米陸軍戦闘研究所の戦史研究家ダグラス・カバイソンが書いた、2008年7月13日にアフガニスタン・ワナットで起こった戦闘のレポートは、N4小銃の問題以外にも大きな問題を取り上げていることが分かりました。(過去の記事はこちら)
それは、アフガニスタン軍や保安部隊の無能さという問題です。この戦いでは1個小隊規模の米軍部隊が短時間で全滅の危機に瀕しました。9人が戦死し、27人が負傷したのです(米陸軍の1個小隊の定員39人)。
この戦いで米兵たちはアフガン軍の兵士に対して強い不満を持ちました。正確には、それ以前から不満を持っていました。私がこれまで読んだ中で、該当する部分を紹介します。
文中の略語
ANA |
アフガニスタン陸軍 |
COP |
戦闘前哨基地 |
TCP |
交通制御ポイント |
ETT |
ANAに配属された海兵隊の教官部隊 |
OP |
監視所 |
ACM |
反連合軍民兵(タリバンなどの武装勢力のこと) |
KIA |
戦闘中の死亡 |
WIA |
戦闘中の負傷 |
ASG |
アフガニスタン保安部隊 |
RPG |
携帯式ロケット弾 |
TF |
任務部隊(支隊) |
「チョーゼン中隊」の命名由来は1ページに記述があります。COPの一部には、戦死した兵士の名前がつけられているものもあり、それについても同じページに説明されています。「ランチハウス」「ベラ」「カーラー」などのCOPはいずれもウェイガル峡谷に設けられた戦闘前哨です。
26〜27ページ
チョーゼン中隊の2個小隊は、第32歩兵連隊第1大隊がウェイガル峡谷に建設した3つの戦闘前哨基地を含む、拡大されすぎた領域を占領しました。最初の2ヶ月は比較的軽い交戦がみられました。2007年8月、メイヤー大尉は公然とランチハウスの無能で腐敗した地域のアフガン保安隊(ASG)の警備主任を解雇しました。その後すぐに、2007年8月22日未明、60人かそれ以上の武装勢力が、校舎周辺からCOPランチハウスに対して、前哨を蹂躙することを狙った大規模で周到な攻撃を行いました。この施設にいたチョーゼン中隊第1小隊の25人だけの米兵は、ASGとアフガニスタン陸軍(ANA)から来た小規模な派遣隊で増員されていました。ANAの正規の戦闘隊形と違って、ASGは門番として勤務する責任を負った単なる保安要員で、彼らの責任は明確に制限されており、彼らは個人防衛用の小火器だけを装備し、戦闘を行うように組織されたり、意図されたりしていません。ランチハウスでは、ASGはアラナスとそのごく周辺から地域的に採用されていました。早朝の攻撃はRPGの大量攻撃により始まり、続いて起こったASGの退却は多くの武装勢力が前哨の中に突入することを許し、それは外縁の一部を無防備にしました。白兵戦が発生し、ACMはランチハウスを直接狙った近接航空支援(CAS)によってようやく撃退されました。11人の空挺隊員が戦闘で負傷(WIA)し、彼らの一部は命の危険がある怪我を負い、ASG1人とANA1人が死亡した。この攻撃の日から、チョーゼン中隊とTFロックは、ほぼ絶え間ない戦闘活動にさらされ、それは軽い挑発的な攻撃から集中的な待ち伏せ攻撃と持続的な攻撃に及びました。最初、戦闘のレベルは第32歩兵連隊第1大隊がウェイガル峡谷で行ったのに似ており、ベラとランチハウスの位置は谷の中やそこを経由するACMの作戦を抑制するのに役立っていました。しかし、2007年11月、小隊規模の米軍パトロール隊がアラナスでのシューラ(訳註 イスラムの「合議」のこと)の後で、ランチハウスからCOPベラに向けて移動し、致命的な待ち伏せが起きたときに、戦闘は極めて集中的となりました。死傷者は非常に多く、「スカイ・ソルジャー(訳註 第173空挺旅団の兵士のこと)」5人が死亡したのと共に、ANAと一緒の配属訓練チーム(ETT)の海兵隊員1人、ANA2人が死亡しました。重度の戦闘で、米兵8人とANA兵士3人が負傷もしました。事実、初期に待ち伏せされたパトロール隊の全員は交戦中に負傷しました。この戦闘はチョーゼン中隊の生存者がウェイガル峡谷に派遣されるテンポを速めました。
2008年1月26日の朝早く、OPベラで大きな悲劇が起きました。チョーゼン中隊第2小隊はOPベラに配置されており、小隊軍曹であるミネソタ州グラナイテ・フォールズ出身のマシュー・ライアン・カーラ一等軍曹、29歳は夜明け前に警備を監視するために警備所を訪れました。ASGが居眠りをしたり、ストーブで体を温めるために警備所を離れるという過去の問題がありました。カーラー一等軍曹はパトロール隊を、無線での呼び出しに応じない警備所のひとつへ連れて行き、その前で立ち止まると、兵士の一人に警告しました。「危険かも知れない」。彼が静かな壕に呼びかけながら前進すると、突然一人のASGが身を乗り出して、発砲し、カーラー一等軍曹を殺しました。後の条項15-6の調査はこれを暴発だったと裁定したものの、カーラー一等軍曹の小隊の兵士たちはASGが故意に彼らの小隊軍曹を殺したと確信し、この時からASGとANAとチョーゼン中隊の信頼関係は壊れました。中隊の無線電話の操作手(RTO)エリク・アース三等軍曹は、特に「多くの兵士はASGを深く疑うのに慣れていました」と指摘します。イスラムと地域の伝統の不合理で、地元の家族、地域社会や政府当局からの遺憾の意や弔辞はなく、米兵とアフガン兵のすでに弱くなった信頼関係はさらに壊れました。11月の待ち伏せ攻撃とこの発砲の後、チョーゼン中隊の兵士はもはやウェイガル峡谷のアフガン兵をまったく信頼せず、「疑われない特典」を与えませんでした。この時から、チョーゼン中隊の力点は動的な作戦へと移行しました。カーラー一等軍曹を失った結果、ダズウィック二等軍曹が小隊軍曹になるために第1小隊から移されました。
56ページ
ブロストロム中尉は任務のために彼と共に行った人員について私に懸念を表明し(私は彼がどう見ても戦闘力として本当に考慮しなかったと感じた、約23〜24人に加え一部のANAのことを述べたのだろうと思います)、彼はこの地域を取り囲む地形についても懸念を言いました…私はブロストロム中尉に彼の中隊指揮官とこのことを話したかと実際に質問しました。
120ページ
この時、ANAの中隊は、COPの中間でTCPの最南端の南側において、戦闘位置に残っていました。チョーゼン中隊の多くの兵士は彼らの不活発さについて不平を言いました。TCPの第一分隊と共にいたある兵士はこう主張しました。「ANAは彼らの位置から逃げ出しました」。別の軍曹は「自分はANAがあまり発砲せず、タコツボから出ようとしなかったことも憶えています」。ダズウィック軍曹は職業上、ANAの能力に感銘を受けませんでした。
彼らは決して彼らのタコツボから出ませんでした。彼らは4人が負傷しただけでした。アフガン人は弾をばらまいては祈りました。そんなところです。でも、正直に言うと、それは自分の予想を超えていました。私が我々の支援をするアフガン兵と共にいた他の大多数の場合、彼らは逃げました。
ヒソング軍曹はチョーゼン中隊のほとんどの兵士が感じたことを要約しました。「彼らは依然として、大方まったく役に立ちませんでした」。しかし、ANAを指導する海兵隊ETTは、彼らの兵士が射界を注意して監視し、弾薬をすべて消費するのを避けるために射撃を制御していたと述べました。不幸にして、ANAは(アフガニスタンでは)人気が高い「弾をばらまいては祈る」武器発射テクニックを採用する傾向を持っています。この方法論は適切な照準をせずに大量の弾薬を消費するのに役立ち、目的をわずかしかあるいは全然果たしません。ANAは見たところではワナットでこれを行わず、それを一部の米兵はANAが銃撃戦において十分に参加しなかったり、彼らを支援しなかったと解釈しました。ANAは比較的、負傷者(避難させる必要があった負傷者4人)が少なく、戦死者はいませんでした。しかし、「ブルー・オン・ブルー」、すなわち同士撃ちを容易に引き起こしかねない言語上の問題のために、意図的にANAは大多数のチョーゼン中隊の死傷者が出たOPトップサイドに行くよう命じられませんでした。ACMが意図的にANAを狙うのを避け、むしろ米兵に攻撃を絞ったといういくつかの証拠があります。前述の通り、ACMがCOPを火力で位置を抑圧することだけに関心がある一方で、彼らの最大の努力はOPに対して行われたことは強調されなければなりません。従って、ANAは抑圧射撃にさらされるだけで、OPトップサイドの激しい戦いには決して加わりませんでした。COP内の2カ所における彼らの死傷者の人数(KIA 1人、WIA 4人)はCOPに配置された米兵よりも少し少なかったのですが、それでもチョーゼン中隊の空挺隊員が主要な位置でこうむった死傷者の範囲内にありました。チョーゼン中隊の兵士の意見に関わらず、それは疑いもなくランチハウスとベラで小隊がASGと共に経験した過去の問題に影響を受けており、ANAがCOPカーラーの防衛に完全に参加し、彼らが責任を負った場所はACMによって占領、蹂躙、包囲されなかったといえます。
(引用は以上)
ASGとANAは別の組織とは言え、これらの情報はマクリスタル大将の新戦略が目標とするアフガン軍の強化に対する疑問を抱かせるのに十分です。このことがmilitary.comの記事で取り上げられなかったのは、それを言うと、いま大将が求めている増派が実現しなくなることを恐れるからでしょう。そこを突くくらいなら、M4小銃の問題を強調し、政府に圧力をかけた方がよいという判断が働いたように思われます。しかし、これは極めて重大な情報です。事実はともかく、最前線の米兵たちはASGもANAも信頼していないのです。ANAを指導する海兵隊ETTは、彼らが弾を無駄に使わなかったと述べていますが、それは教官たちが現場にいたからかも知れません。アフガン人だけの部隊を編成すると、すぐに元に戻る可能性もあります。
マクリスタル大将は、自分に与えられた任務をやり遂げることだけに目を奪われて、アフガン戦略の本筋を見失っているのではないかという気がしています。最終的な目標は、アルカイダとそれに関連する各地域のテロ組織を無力化することです。アフガンを細々と整備しても目的は達成できないかも知れません。それよりは、アルカイダの資金源を経つために、出来るだけ早くにアフガン政府に治安権限を戻し、イスラム諸国との協力を強化することが重要だと思われます。もっとも、マクリスタル大将の意図はそれを実現するために増派が必要だというところにあるのでしょう。しかし、こんな状況が本当に3年で解決するのかは疑問です。
イラク軍の再建も一応成功したように言われていますが、私は極めて強い疑問を持っています。イラク軍の再建も迷路をさまよい続けました。今では彼らに関する情報がほとんど出てこないので、傍目には機能しているように見えますが、同じような問題を繰り返し続けているのではないかと、私は睨んでいます。