「War on Terror」が死語になる

2009.2.2



 military.comによれば、ブッシュ政権で長いこと使われてきた「War on Terror(テロとの戦い)」という言葉が姿を消そうとしています。オバマ政権が意図的にこの言葉を使わないようにしているのです。

 就任以降、オバマ大統領は、1月22日の国務省での演説で「War on Terror」という言葉を、ただ1度だけ使いました。

我々は、例を見ない、複雑で、相互に結びつけられた世界的な挑戦であるテロとの戦い、宗派間の分裂と致命的なテクノロジーの拡散と対決させられています。
We are confronted by extraordinary, complex and interconnected global challenges: war on terror, sectarian division and the spread of deadly technology. (同22日。国務省での演説)

 大統領はそれ以外の場面で、「テロリズムと過激主義に対する永続的な争い(enduring struggle against terrorism and extremism.)」とか「進行中の戦い(ongoing struggle.)」と表現しています。私が探したところでは、次の演説がみつかりました。

これは、我々のテロリズムと過激主義に対する永続的な争いの中央戦線です。
This is the central front in our enduring struggle against terrorism and extremism. (同上)

 引用記事に戻ります。同時多発テロ以降、ブッシュ政権はこの言葉を使うようになりましたが、これは反アラブ、反イスラムと関連づけられるようになったと、戦略国際研究センターのアンソニー・コーデスマン(Anthony Cordesman)は主張します。ホワイトハウスには、この言葉を禁止する命令は出ていません。ロバート・ギブス大統領報道官が口にしたことがあり、国務省と国防省ではまだ使われています。しかし、やがて使われなくなるだろうというのが、この記事の主旨です。

 これは非常に嬉しい話です。「War on Terror」という言葉の問題は、拙著「ウォームービー・ガイド」の中でも触れましたが、結構大きな問題だったからです。それをオバマ大統領が気がつき、直そうとしているということは、アルカイダ問題に対する見識の高さを窺わせるからです。

 大統領就任機の演説の中でも、オバマ大統領はたくみに「War on Terror」という表現を避けていました。唯一、それに触れた時は次のような表現を用いました。

我が国は暴力と憎悪の広範なネットワークとの戦いの中にあります。
Our nation is at war, against a far-reaching network of violence and hatred.

 「War on Terror」は「Global War on Terror(GWOT)」という言葉としても使われ、世界中のテロ組織を壊滅するのが最終目的という、壮大な戦争計画を指す言葉と定義されました。ところが、この戦争計画を遂行するための作戦計画は米軍にはなかったのです。存在しない作戦を実行しろと言われた米軍は内心困ったでしょうが、それは口にできませんでした。米軍は近代的な正規軍を相手に戦う技術を磨いており、アルカイダのような組織に対する対策はほとんど持ち合わせていませんでした。ニューヨークを攻撃されたのに、有効な反撃方法はありませんとは、プロの軍人が言えるわけがないからです。こうして筋違いの戦争を止める力は殺がれ、意味のない軍事行動が繰り返されることになりました。米市民とて、それほど軍事に詳しいわけではなく、反対意見に耳を貸す者は少数でした。

 学術的な見解は2003年12月に発表された論文「Bounding The Global War On Terrorism」で示されました。この論文の中に「War on Terror」や「GWOT」という言葉の問題点が示されています。戦略研究所のジェフリー・レコード教授は、「War on Terror」が戦争の目的や戦略を曖昧にしたと批判しています。直訳すると「War on Terror」は「テロとの戦争」ですが、レコード教授は「テロ」「戦争」の両方の言葉とも実態と乖離していると指摘しました。

 この論文で「テロ」「戦争」について書いた部分の冒頭部分を紹介します。原文はもっと長いので、当サイトに掲載されている日本語訳をお読みください。(ダウンロードはこちら

テロリズムとは何か?

 健全な戦略には明確な敵の定義が必要である。しかしながら、GWOTは語義の沼にはまり込んだ何者かに対する戦争である。合衆国政府内部ですら、異なる部門や機関では、この問題に対する異なった専門家の展望に基づく異なった定義を用いている。1988年のある研究では、テロリズムには総計で22の異なる定義の成分を含んだ、109の定義があるとみなしている。テロリズムの専門家ウォルター・ラクェアーもまた、100以上の定義を認め、「広く合意されている一般的な性質は、テロリズムが暴力と暴力の脅威よって生じるということだけである」と結論している。けれども、テロリズムが、暴力と暴力の脅威に関係する唯一の活動なのではない。戦争を行うことも、強制力のある外交であり、酒場の喧嘩なのである。


GWOTは戦争といえるか?

 何十年間以上もの間、アメリカ人の政治に関する議論では、戦争は国内外のすべての種類の敵を相手にする場合のメタファーとして受け入れられてきた。米政権はそれ故、貧困や教育の欠如、犯罪、薬物…そして現在はテロリズムに対する戦争を宣言してきた。政治運動の本部でさえ、作戦室を持ち、戦争は連邦議会において辛口の議員たちが論争をするために、ますます用いられる用語となっている。戦争は、恐らくアメリカで最も使われすぎているメタファーである。

 だが、伝統的には、戦争は国家同士や、国家と反政府勢力がその国家の最終的な支配権をめぐる軍事作戦によって生じるものとされている。どちらの場合においても、戦争の主要媒体は、正規軍(政府側)と非正規軍(非政府側)の野戦用に編成された同士で戦われるものである。ところが、テロリストの組織は、そのような野戦用の部隊を持たず、アルカイダとその協力者たちの場合は、領土を奪う目的を持たない、国家を超越した組織である。このことと、彼らの秘密が漏れない、細胞化した、伝播性があり、分散した戦闘序列を考慮すると、彼らが従来型の軍事的な破壊によって屈服することはないのである。

 「テロ」と呼ぶことは簡単でも、その定義は多岐にわたること、米政府が「戦争」と呼んだ者は実はそうではなかったこと。つまり、ブッシュ政権がキャッチフレーズとした言葉は実態を反映しておらず、そのために政府内部でも混乱が生じたこと。こうした誤りを、オバマ政権が正そうとしています。これはまったく正論であり、諸手をあげて賛成したいところです。

 日本人として言えば、そういう米政府に対して、何の疑問も持たずに追随した日本政府の問題もあげたいところです。ところで、テロとの戦いが国際貢献だと言い続けてきた日本政府は、名称を変更するのでしょうか?。そして、それはいつ?


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