space-war.comが「日本がヘリコプター空母を進水(Japan launches helicopter carrier)」という記事を掲載しました。日本の新型護衛艦が海外でどのように報じられているかを考えてみます。
まず、記事の全訳を見てみましょう。
日本がヘリコプター空母を進水
日本、横浜(AFP)2009年3月18日
スタッフライター
日本の海軍は水曜日に、その最大規模のヘリコプター空母を就役させましたが、この駆逐艦は戦後平和主義の国家憲法に合致していると強調しました。
防衛省は、平らなデッキの上に11機のヘリコプターを搭載できる、197メートル(646フィート)長の「ひゅうが」は、それと似ている海外の軍隊の軽航空母艦とは異なっていると述べました。
「アメリカやロシア、ヨーロッパの軍隊の航空母艦は、攻撃的な機能をかなりの程度有しています。」と、東京近郊の横浜港での進水式で、海軍の幕僚長・赤星慶治海将は述べました。
「しかし、『ひゅうが』は、その枠組みの少し外側へ外れます」。
アメリカが課した1947年制定の憲法の下で、日本は国際紛争において武力を用いたり、脅しに使うことを放棄しました。それにも関わらず、日本は世界最大の予算を供給された軍、自衛隊(SDF)を保有しています。
政府は、憲法は自衛隊が最小限の軍隊を自衛のために所有することを認めていますが、より大きな攻撃能力と範囲を持つ航空母艦は該当しないと主張してきました。
13,950トンの駆逐艦は、日本海上自衛隊のために建造された最大の艦艇の一つです。「ひゅうが」は東京近郊の横浜港に配備され、海外の災害援助任務に派遣されることが期待されています。
「ひゅうが」は、海上自衛隊の駆逐艦に乗艦する最初の女性である17人の女性士官と水兵を含む340人の乗員を擁します。
まずは、表現上の問題について書きます。
日本人には抵抗があることですが、記事が海上自衛隊を海軍(navy)と書いているように、英語では自衛隊はしばしば「軍」と書かれます。記事中の「駆逐艦(destroyer)」は自衛隊の用語では「護衛艦」で、どちらに訳しても誤りではありませんが、ここでは「駆逐艦」としました。
記事のタイトルに首をかしげた人がいるかも知れません。「ひゅうが」は就役(commission)したのであり、「進水(launch)」は2007年8月23日に済ませています。英語では、こうした言葉の使い回しがしばしば観察されます。たとえば、水兵を意味する「sailor」は、海軍軍人全体や海兵隊員(marine)までも含む場合があります。
「アメリカが課した1947年制定の憲法(US-imposed 1947 pacifist constitution)」の前半部分は、「アメリカが押しつけた」と訳することもできますが、そう書くと「日本国憲法は押しつけ憲法か否か」という複雑な議論を呼び起こすので、簡単に意味だけを表現しました。
この記事は、日本政府が航空母艦は日本国憲法に抵触するものの、ヘリコプター空母は該当しないと考えている点に目を向けています。しかし一方で、災害救助活動に用いられるとか、女性隊員が乗っていることも書いています。もっとも、記事はバランスととるためか、あまり突っ込んだ内容にはなっていません。新造艦にあまりケチをつけると、今後、海上自衛隊の就任式に呼んでもらえないと考えているのかも知れません。
災害救助活動は海上自衛隊自身が批判をかわすために宣伝していることでしょう。これまで非戦闘艦だけに乗せていた女性隊員を「ひゅうが」に乗せたことは、攻撃的な任務に使わないことを暗示させるためなのかが気になります。とはいえ、「ひゅうが」の機能はヘリコプター空母であり、対潜作戦の動く基地として用いられることは明白です。韓国海軍が注目しないわけはありません。「ひゅうが」を改造すると垂直離着陸機を搭載できるかどうかについて、近隣諸国の海軍は調査するはずです。
globalsecurity.orgの「ひゅうが」の解説文が、すでにその点について検討しています。格納庫から甲板へヘリコプターを上げるエレベータの大きさがポイントです。前方のエレベータは10m×20m、後方は13.1m×20mです。垂直離着陸機「F-35B」のウイングスパンは10.7m、全長は15.4mです。現段階でも、後方エレベータにはF-35Bを乗せる余地が十分にあります。この解説文には、駆逐艦が不足していた米海軍が、日本のヘリ空母建造に反対し、駆逐艦(護衛艦)を増やすよう求めてきた経緯までが書かれています。
海上自衛隊は「ヘリコプター搭載護衛艦」だと説明しますが、その能力は「軽航空母艦」なのです。こうした新兵器の記事は、軍に華を持たせるためか突っ込みが足りないものになりがちです。海軍関係の雑誌には詳細なデータが載り、軍事マニアたちが血眼になって、そのデータを頭に叩き込むだけで終わります。一般の人たちは、そうした動きにしらけを感じ、新兵器がもたらす問題点から目を逸らすことになります。しかし、メディアはそうした要求に対して、なかなか的確な答えを提供しないものなのです。