中川前財務相が核装備議論を希望

2009.4.21



 中川昭一前財務相が日本の核武装に関する議論をすべきだと主張したことをspacewar.comが報じましたが、ローマでの彼の失態に関連して報じられています。

 記事は中川氏を「記者会見に酔って現れた前財務相」「中川はローマで行われたG7の記者会見での支離滅裂な答弁と眠たげな姿をテレビ局が繰り返し放送し、政治的な騒動を引き起こした大失敗の後、2月に辞職した」と紹介しました。さらに、河村官房長官が、日本は核拡散防止条約に加盟している以上、核装備は不可能だと述べたことも紹介しており、全体として酔っぱらいの政治家が分相応に核装備を論じ、政府によって否定されたという印象です。もちろん、これらが直接的な表現で書かれているわけではありません。しかし、海外のメディアがいま、中川氏を紹介しようとすれば、あの事件しかないわけで、核装備について発言すれば、一緒にそれが世界に再配信されることは自明のはずです。私はBBCのニュースキャスターが笑いが止まらないといった風に、記者会見での事件を報じたのを今でも覚えています。「ひょっとして言葉を選びながら話しているのかも」とか「日本人が酔ったところを見たことがないので、本当に酔っているかどうかは私には分かりません」と言われ放題で、同じ北海道に住む者としては本当に恥ずかしい限りでした。しかも、spacewar.comの記事では「核(武装)の論議と核を持つことはまったく別問題」と言ったところは完全に無視され、彼が国民レベルでの議論を希望したことは書かれていません。この記事では中川氏が核装備を望んでいるという風にしか読めません。このように、海外に翻訳される時に意味が少し変わってしまうのはよくあることであり、国会議員はその辺も考えて発言しないと、余計な誤解を生むだけです。たとえば、必ず翻訳して欲しいことは繰り返して述べるといった工夫が必要なのです。

 中川氏がこのタイミングで核装備について論じたのは、テポドン2号の余韻が冷めないうちに、自分の存在感を出そうとしただけではないかと、私は疑っています。というのは、発言の中に中川氏がどのような核装備を望んでいるかがまったく示されておらず、本当に核装備を検討したことがあるかどうかが判然としないからです。「核に対抗できるのは核」という発言は意味通りに取れば報復主義について語っているようにも聞こえますし、核装備によって戦争を防止する抑止戦略について語っているようにも聞こえますが、いずれかは分かりません。こうした不明瞭な発言について議論することはできないので、聞き捨てにするしかありません。また、テポドン騒動への便乗であるなら、それはすでに戦略で負けています。北朝鮮はテポドン2号打ち上げ後も、次々と手を打ってきていますから、打ち上げに便乗しているようでは、既に敵の後塵を拝しているだけです。

 核装備に関する議論は常に拙速で、検討に値しないものが多いことに注意を払うべきです。核を持てば敵が日本を攻撃しなくなると信じているようでは、核戦略は語れません。現に、キューバ危機の際、カストロ首相は米軍がキューバに侵攻するなら、核攻撃を行うべきだとソ連に進言しました。実際、キューバにはソ連製の核ミサイルが装備されており、いつでも使える状態にありました。祖国が侵略されるのなら、戦いで負けると分かっていても相手に一発食らわせるという根性が、カストロ首相にはあったわけです。ところが、週刊新潮2009年4月11日号に、田母神俊雄前空幕長は「たとえば、海上自衛隊が、核ミサイルを搭載した原子力潜水艦で日本海をパトロールするだけで、北朝鮮はテポドンミサイルの発射実験などピタリとやめるはずです。」と楽観論を書いています。私はまったく逆だと考えます。なぜなら、テポドンの打ち上げに抗議するために、日本が核ミサイルを撃つことはできないのだから、何の圧力にもならないからです。北朝鮮はそれを見越して、テポドンの打ち上げを続けることになります。

 核装備に関する議論には、「核爆弾を持てば、外国が日本を甘く見ることはなくなる」という論調しかありません。しかし、核爆弾を数多く装備するアメリカに対して、その敵対国たちは挑発行為すら繰り返しています。核装備をしたところで、状況はそれほど変わりません。むしろ、複雑化する戦略、核事故の防止、増加する防衛予算など、考えなければならない事柄が増え、厄介な問題が増えるのは間違いがありません。現状では、核装備論は検討すべき内容を持っておらず、私は無視して構わないものと考えています。


Copyright 2006 Akishige Tanaka all rights reserved.