タリバン掃討とパキスタン国民の心情

2009.5.11



 パキスタン軍がスワト峡谷でタリバンを掃討していると報じられていますが、その効果はあまり信じられません。ワシントン・ポストの記事では、パキスタン軍が発表した、過去24時間に少なくとも180人というタリバン戦死を殺害したという報告は確認されていません。

 パキスタン軍はシャングラ(Shangla)のババニ・ババ(Banai Baba)の訓練キャンプを攻撃し、少なくとも140人のタリバン戦士の死体を確認し、チャムタライ地区(Chamtalai area)の橋でタリバンと戦いました。峡谷のあちこちで50〜60人の死体が発見されたという情報もあります。パキスタン軍は様々な数字を一致させることができず、確認されていません。パキスタン軍はスワト峡谷に12,000〜15,000人の兵士を配置し、4,000〜5,000人のタリバンと戦っています。この数字が本当なら、パキスタン軍は少なすぎ、タリバンは軽微な損失しか出していないことになります。また、パキスタン政府は大衆の怒りを恐れて、民間人の犠牲者の数を公表していません。大量に発生した難民はマーダン(Mardan)に逃げ、252,000人が集まっています。パキスタン政府はこことタクトベエイ(Takhtbai)に難民キャンプを設けています。国際援助団体「ワールドビジョン(World Vision)」は、高い気温、過密、トイレの不足、電気の欠乏により、難民キャンプが耐え難い状態になっていると主張します。

 別のワシントン・ポストの記事は、パキスタン国民がタリバンを受け入れた背景を説明しています。パキスタンには憲法の下でシャリア法廷(宗教法廷)と非宗教の法廷が存在します。シャリア法廷は不倫の性関係と殺人に関して限定的な権限をもっています。シャリア法廷の裁判官は宗教と法律の両方を学んでいます。判決は州高等裁判所に控訴できるので、シャリア法廷は絶対的な権限はもっていません。しかし、非宗教の法廷は何十年も裁判が長引き、影響力のある人たちは金で警察を買収して裁判に勝つことができるため、大衆は強い不満を持っていました。イスラム式の法廷は小規模、迅速、安価です。3月にタリバンが情事を行ったとされた十代の少女を鞭打ちにする映像が流れ、多くのパキスタン人を戦慄させました。パキスタンのイスラム学者で政治活動家のラジャ・ザファ・ウルハク(Raja Zafar ul-Haq)は、本当のシャリア法廷ならイスラムでもなく、シャリア法とは無関係だと批判しました。本当のシャリア法廷なら、4人の目撃者を含む、より高い水準の証明が求められ、彼女たちは無罪になったかも知れません。懲罰を命じるには13の必須条件があります。理論上、パキスタンではイスラム教徒民主主義の間に矛盾はありません。憲法は法律はコーランや預言者ムハマンドの教えを否定しません。しかし、州裁判所は仕事が遅く、偏っているので、人々はうんざりしています。大きな改革がなければ、シャリアに対する要求は国中の至るところに広がるかも知れません、とウルハク氏は述べます。国中のモスクと神学校で、近代的な裁判所を廃止して、シャリアを国の最高峰にしようとする運動が存在します。

 1977〜1988年までのモハンメッド・ザイ・ウルハク(Mohammed Zia ul-Haq)の軍事政権期にも、飲酒と姦通に関して、投石と鞭打ちを科すシャリア法がありました。これはフドゥード法(The Hudood Ordinance)として知られており、2006年に改正されました。1988年にザイが死んだ後で消えていった、このような過酷な慣習の批判が、タリバン・スタイルの大儀という恐怖の物語として復活し、スワト峡谷から外へ漏れだしているのです。

 新聞の投稿欄はタリバンがイスラムを侮辱し、近代国家を中世へ後退しようとしているという批判で満たされていますが、観察者はパキスタンの大衆が問題を解決できない政府に失望し、宗教へ逃げ込んでいるという潜在的な傾向を指摘しています。

 パキスタン政府はタリバンの死体を撮影して、間違いなく戦果をあげたかどうかを世界に示すべきだと、私は考えます。また、内政を刷新して、大衆がタリバンにシンパシーを感じないようにすべきです。この二つのワシントン・ポストの記事は、タリバンがパキスタン国内に広まった原因と、掃討に手こずっている様子をよく表現しています。日本のメディアも、パキスタンにもっと焦点を当て、記者を派遣し、いま何が起きているのかを示すべきでしょう。現在、パキスタンで起きていることは極めて重要です。パキスタンもアフガニスタンのように失敗した国家だったのかどうかが、ここ数ヶ月で結論が出るのではないかと思えるからです。

 この問題が教えるのは、先進国は国益で発展途上国とつき合うのではなく、一見、なんの利益にならないようでも、発展途上国を成功した近代的な民主主義国に成長させるよう努力する方が、長期的な危険を減らすということです。しかし、現状を見る限り、世界全体がそれに失敗し、手遅れの状態になっているように思えます。今から、斬新なセンスを持つ政治家を育てていくのでは、すでに遅いのかも知れません。


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