ここ数日、アメリカのメディアは6月6日のノルマンディ上陸65周年記念関連の記事が多くなり、現在進行中の軍事問題に関する記事が減りました。この機会に日本と海外での歴史認識のズレについて書きます。
アメリカでは、この作戦がヨーロッパに自由を取り戻すために必要な作戦だったという考え方が定着しています。実際には、米兵たちは戦場で見たフランス人よりもドイツ人の勤勉さに感心していたのですが、第2時世界大戦を総括する時、ノルマンディ上陸作戦は「自由のための第一歩」とみなされています。このため、戦後に制作された戦争映画はすべからく、その線で描かれており、映画やドラマに登場するフランス人は常に自由を求めて戦う戦士として描かれ、ドイツ人は卑怯な手すら使う悪人として描かれたのです。ヒトラーのナチス党が台頭した時、アメリカで支持する意見が出たことは忘れ去られました。大西洋横断で有名なチャールズ・リンドバーグ、アニメ映画の巨匠ウォルト・ディズニーらは、ヒトラーがヨーロッパの戦乱を終わらせてくれると期待し、ナチス党を支持したのです。逆に、いち早く映画「独裁者」でナチスを風刺したチャールズ・チャップリンは公然と批判されました。
戦争が発生した本当の経緯は、戦争終結のめでたさの前に吹き飛び、色づけされて後世に残されたのです。南北戦争は奴隷解放のための戦争と認識されていますが、奴隷解放の本当の目的は、工業化が進んだ北部がアフリカ系米人の労働力を求め、農地に拘束されている彼らを欲したところにありました。現在では、後の公民権運動と関連づけられ、人権のための戦いだったと認識されています。
こうした戦争認識の変化は日本でも起きています。反米的とも言える自由主義史観というものが、なぜかアメリカ追随の自民党議員の中でもてはやされるようになりました。これは戦時中の日本の主張をそのまま受け入れた歴史観で、日本はアジアを欧米の植民地支配から解放したというのが、その主張の中心です。
しかし、自由主義史観には、第1次世界大戦の戦禍に対する認識が欠けています。大惨事をもたらした第1次世界大戦は全世界に平和の希求をもたらし、様々な変化を起こしました。ところが、世界の格差はそれ以上に大きく、こうした努力は問題を解決するには至りませんでした。すでに数百年の歴史がある植民地を直ちになくすほどの力にはならなかったのです。そこに問題があるわけですが、それが決定的な要素だと結論するのは不適切です。
自由主義史観は対外的にまったく受け入れられない主張です。以前に、私は米軍人が多く参加しているmilitary.comの掲示板に田母神俊雄前航空幕僚長の主張を書き込み、米軍人がどのような反応をするのか試したことがありました(掲示板はこちら)。誰もが強い反対を示しました。だから、米軍を友軍とする航空自衛隊のトップを田母神氏が務め続けることができないのは、無理のない話でした。田母神氏などが信奉する自由主義史観には、第1次世界大戦から第2次世界大戦への間の経緯に対する認識が欠落しており、すべてが東京軍事裁判への怨恨から出発しています。これでは、これら2つの世界大戦を正確に認識することはできません。第1次世界大戦が終わり、世界はこれが最後の世界大戦だと考えました。しかし、第2次世界大戦が起こり、再び以前よりも大きな戦争になったのです。当然、戦争を始めた国に対する批判は極限まで増幅します。そして、我が国は、戦争を始めた国の1つなのです。それを考えれば、我々がどうすればよいかも見えてきます。また、第2次世界大戦を始める前に、第1次世界大戦の歴史をよく研究していれば、開戦は思い止まったかも知れないということも見えてきます。アメリカがなぜ中国に対して強い態度に出ないのかは、かつて日本の侵略から中国を守ったという経緯があり、これは消すことができない事実であるからです。実際にはアメリカも中国に言いたいことは色々あるはずで、そうした本音を突いた外交を日本が展開すれば、少しはよい結果が得られるかも知れません。自由主義史観のような一方的な論理に染まってしまうと、こうした重要な事柄に気がつけずに終わってしまいます。自由主義史観だけでなく、日本のマスコミ報道、政界全般に見られる意見にも、こうした正しい歴史認識が欠落しています。周囲すべてがそうであるため、私も青年期にはそうした事柄が見えなかったものです。自分で様々な情報をつなぎ合わせ、右派左派いずれのセクトの人たちも都合のよい嘘をつくことに気がつくまでには、かなりの時間がかかりました。
平和問題に関心がある人には、各国の戦争認識ついて調べてみることをお勧めします。それが現代の我々にどんな影響を与えているかが分かってくるからです。