spacewar.comが、2008年11月に起こったインドのムンバイでの大規模なテロ攻撃を実行したパキスタンに本拠を置くイスラムテロ組織ラシュカー・イ・タイバ(Lashkar-e-Toiba・以前に「Lashkar-e-Taiba」として紹介した組織と同一)は、湾岸地域のネットワークからの巨額の資金援助を受けていると報じました。
ワシントンにあるジェームズタウン財団(Jamestown Foundation)の記事によれば、インドの情報組織の調査は湾岸諸国がラシュカー・イ・タイバの主要な中枢であることを示しており、ドバイは作戦計画センターとなりはじめました。なぜこうなったかは不明ですが、ムンバイの大虐殺の後、パキスタンに本拠を置くテロ組織を取り締まれという国際的な圧力がパキスタンに寄せられたことから生じたと考えられています。
ジェームズタウン財団の元記事を訳してみたのですが、時間がなくて半分の少し手前で終わっています。それでも参考になると思われるので、未完成ながらも掲載します。残りを訳して頂ける方がいたら、是非ともお願いします。
簡単にこの記事にコメントします。以前から言っていますが、イスラム武装組織が中東からアジアに向けて拡大しています。ブッシュ政権はそのことを考えずに、イラクに無駄な軍事力を投下し、砂漠の砂に吸い込ませてしまいました。インドにはアルカイダ系のテロ組織があり、爆弾事件などを引き起こしてきました。それでも、国際社会はこのことをほとんど問題にしてきませんでした。そして、北朝鮮やイランの件ばかり取り上げます。これは異様な光景と言うべきです。私は現在の国際社会は、軍事知識を活用して、戦争を防止するという発想を放棄しているのだとみなしています。
以下は、未完成の訳文です。
湾岸諸国からインドを狙うラシュカー・イ・タイバの資金ネットワーク
テロリズム・モニター・ボリューム 第7巻19号 2009年7月2日午前4時12分
著:アニメッシュ・ロウル(Animesh Roul)
パキスタンに本拠を置くラシュカー・イ・タイバ(LeT)からの差し迫った脅威が、インドの西海岸沿い警戒を高めるよう安全保障体制を促進しています。情報源によれば、LeTの海洋部隊がグジャラート(Gujarat)マハラシュトラ(Maharashtra)とゴア(Goa)の3つの州の主要な施設を狙ったムンバイ型の侵略を計画中です。このグループは湾岸のネットワークから、インドにおけるジハード活動に資金提供するために、多額の資金を注ぎ込まれているとも報告されています(Times of India紙 6月30日付)。これは独立した諜報の警告ではありません。LeTが生じる脅威は、LeTのジャマット・ド・ダワ(Jamaat-ud- Dawa)の指導者ハフィーズ・ムハマッド・サイード(Hafeez Muhammad Saeed)に近い協力者ムハマンド・オマル・マディニ(Muhammad Omar Madni)の最近の逮捕に引き続いて部分的に明らかにされました。この逮捕とマディニの尋問は、テロリストが使っている新ルート、インド国内・国外の基地の位置、テロリストの財源、ラシュカー・イ・タイバの徴募戦略を含む驚異的な詳細を明らかにしました。
LeTのネパールの活動も監督するムハマンド・オマル・マディニは、若者の徴募と彼らを訓練のためにパキスタンに送る任務についていました・マディニは財源と補給支援を模索して、バングラディシュ、ネパール、パキスタンそしてサウジアラビアを含む湾岸諸国を広く旅行しました。彼の任務は教育を受けたコンピュータ通の青年をインドの主要な大都市から募集することでした(Press Trust of India紙 6月7日)。インドの情報当局は、彼がインドの無秩序な後背地における唯一のLeTのリクルーターではないと信じています(コルカタ(訳註 旧カルカッタ)・Statesman紙 6月7日)。マディニの兄弟で、彼に近く活動する別のラシュカの工作員ハフィズ・ムハマンド・ズバイエ(Hafiz Muhammad Zubair)は、現在カタールに本拠を置いています(コルカタ・Telegraph紙 6月6日)。
ジャムーカシミールの通常のルートの他に、LeTは湾岸諸国に基地を確立する間に、ネパールとバングラディシュの穴だらけの国境を通る別のルートを造ることに成功しました。捜査当局は現在、LeTがインドに対する将来の攻撃を計画するセンターとして、ドバイを使うことを伴う新しい戦略に基づいて活動していることを確認しています(India Today紙 6月22日)。過去及び進行中のテロの調査は、湾岸諸国がLeTのテロリストの主要な中枢となっており、インドに対する多くのテロ計画がパキスタンの領域の外で企てられていることを示唆しています。
しばらくの間、暗闇を手で探った後で、インドの情報当局は現在、インドのテロに関係する湾岸は繁茂し、湾岸にはインドのテロ活動の財源となり、促進したLeTの細胞が存在することを確認しています。
ムンバイの犯罪部の調査は、2008年11月のムンバイでのテロ事件はLeTの湾岸の細胞が資金援助し、湾岸に本拠を置く工作員が首謀者となり、インドの都心(バンガロ(Bangalore)、アーマダバード(Ahmadabad)、デリー(Delhi)、スラット(Surat))で連続爆破を実行したことを明らかにしました。これらの作戦はインディアン・ムジャヘディン(IM)の戦士と禁止されたスチューデント・イスラミック・ムーブメント・オブ・インディア(SIMI)の共謀により実行されました。
2003年8月のムンバイでの2度の爆弾事件(インド門とザベリ市場の自動車爆弾)を調査する中で、ムンバイ警察は強力なドバイとのリンクを探り当てました。計画はハイデラバード(Hyderabad)、アナクルム(Ernakulum)、チェナイ(Chennai)のスリーパー細胞と共謀したLeTのドバイの工作員が企てました。爆破は、2002年のグジャラート地域暴動のあとで、イスラム・コミュニティに対して行われた残虐行為に復讐するためにのSIMIとLeTが設立した多くのグループの一つで、知られていないグループ「グジャラート・ムスリム・リベンジ・フォース(GMRF)」が主張しました(Press Trust of India紙 2003年10月10日)。ラシュカーの戦士の一人、ハニフが爆破に関与した件で逮捕され、伝えられるところでは、警察に計画、補給とLeTのGMRFの標的について語りました。1993年以来、ハフニは電気技師としてドバイで働き、2002年9月に攻撃を計画・実行するためにムンバイに送られました。警察はハフニに、アラブ首長国連邦(UAE)のシャージャ(Sharjah)に逃亡したSIMIの一員、バシール(Basheer)とパキスタンの統合情報局(ISI)と協力関係にあるアブ・ハムザ(Abu Hamza)という男とのつながりについても尋問しました(チェナイ・Frontline紙 2003年9月13〜26日)。