タリバン兵虐殺に米軍が関与?

2009.7.14



 military.comによれば、バラック・オバマ大統領は自身の国家安全保障チームに、2001年11月、アフガニスタンの戦いの初日に、米軍と同盟関係にあった北部同盟が2,000人のタリバン兵を殺害した件に米軍が関与したという報道の真偽を調査するよう命じました。

 この事件については、afghanistan.phrblog.orgに詳しい記事があります。以下に訳文を掲載します。(太字部分)

 2001年11月、約2,000人のタリバンの捕虜が米軍と同盟するアフガン兵によってコンテナトラックの中で殺され、アフガニスタンのダシュト・エ・レリ(Dasht-e-Leili)の集団埋葬所に葬られたと信じられています。これらのアフガン兵は、犯罪の現場にいたとされる米軍と共同して行動していました。PHR(NGOのPhysicians for Human Rightsのこと)の調査員は2002年に集団埋葬所を発見しました。

 国連の援助の下で、PHRの国際法医学計画はこの場所の一部の初期調査を行い、15体の遺体を掘り起こし、遺体3個体の司法解剖を行い、可能性の高い死因が窒息と矛盾しないことを見出しました。

 2002年以来、PHRはこの場所を確保し、目撃者を保護し、虐殺の疑いを完全に調査するよう求めてきました。こうした要請にかかわらず、アフガン人の目撃者は拷問されたり、殺害されたり、行方不明になり、集団埋葬所の区域は掘り起こされ、持ち去られてきました。


 北部同盟の指導者は清廉潔白なマスード将軍で、彼は同時多発テロの直前にアルカイダに暗殺されたと考えられており、この事件が起きた時に既にこの世を去っていました。彼の葬儀を撮影したビデオ映像を見たことがありますが、彼の死を悼む人々は「我々はマスードの道を行く」と叫びました。しかし、実際にはマスードの教えは届いていなかったわけです。北部同盟は様々な派閥の集合体でしたから、行動は必ずしも結束していなかったのです。テレビニュースで見た北部同盟の捕虜収容所では、捕虜の礼拝が認められており、人道的な配慮がなされていました。

 いまさら遅いかも知れませんが、事実関係を明らかにする決断をオバマ大統領が下したのは英断でした。ブッシュ政権が長く続いたために、真相が明らかになるのに時間がかかってしまったことを、アメリカ人はよく認識すべきでしょう。

 米軍はベトナム戦争と同じ感覚でアフガン戦を戦おうとしたのでしょう。現地の武装組織に汚い仕事をやらせて、黙認するというやり方です。オバマ大統領はそうしたやり方を軌道修正したいのです。このように、オバマ政権の方針が明らかになってきたことで、これまでブッシュ政権が行う対テロ戦争はすべて正しいとしてきた日本の政治は軌道修正を迫られることになります。



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