時事問題ではありませんが、興味深いニュースを紹介します。アメリア・イヤハートという人物を御存知でしょうか?
彼女は第2次世界大戦前に活躍した女性パイロットで、別名「レディ・リンドバーグ」とか「レディ・リンディ」と呼ばれていました(彼女自身はこの名前を嫌っていました)。イヤハートは赤道沿いに世界一周に挑戦し、太平洋上でナビゲーターのフレッド・ヌーナンと共にホーランド島付近で遭難したとされています。
しかし、実は日本軍に撃墜されており、スパイとして逮捕されたとする説があります。サイパン島で処刑されたとか、東京で宣伝放送に携わり「トウキョウ・ローズ」と呼ばれたとか、終戦後ヌーナンと共に発見され、アメリカに帰って別名で残りの人生を送ったとか、女性銀行家のイレーネ・クラッグマイル・ボラム(Irene Craigmile Bolam)が実は帰国したイヤハートだったとか様々な説があります(この話は完全に否定されていますが)。
アメリカでは彼女に関する本が沢山書かれていますが、日本ではランドール・ブリンクの「アメリア・イヤハート 最後の飛行 世界一周に隠されたスパイ計画」他数冊程度しかありません。この本は、確証はつかめていないが、捕まった後で日本に送られ、戦後に帰国したのではないかと書いています。ブリンク氏は情報公開法により、様々な書類を開示させ、それに基づいて、イヤハートの世界一周には、地図の空白地点を埋めるために航空写真を撮影する任務が隠されていたと主張します。ハワイで起きた事故で愛機「エレクトラ」が破損した後、その機体は米政府によって、より高速の同型の後継機に置き換えられたものの、外観は元の機体と同じにペイントされました。カメラのレンズのために、機体には穴が開けられ、カメラが取り付けられました。最高のナビゲーション機材が積み込まれました。こうして、本来なら、東から西へ飛んだ方が楽なルートを、西から東へ飛ぶ形で世界一周は始まりました。1937年7月2日、ニューギニアのラエからホーランド島へ向かった後、サポートのために洋上で待機していた沿岸警備隊の艦船「イスタカ」に救援信号を発進しながら消息を絶ちました。ブリンク氏は、イヤハートはスパイ飛行のために日本軍がいるトラック諸島の方面を飛行中に位置を見失い、空母「赤城」の艦載機により強制着陸され、日本軍の手中に落ちたと推測しています。ブリンク氏はパイロットでもあるので、航法に関する説明、特に、新型の機体でないと航海日誌通りには飛行できないという点には説得力が感じられます。
この本には証拠となる政府文書や写真、証言が掲載されており、それなりの信憑性を感じさせます。しかし、肝心な情報がいくつか欠落しており、これを最終的な真実と確定してよいかどうかは疑問が残ります。たとえば、エレクトラを強制着陸させたという日本海軍パイロットの名前が明らかになっていません。そもそも、機体に取り付けたカメラが日本軍に発見されたり、よしんばカメラは機外に捨てたとしても、レンズ用の穴が見つかれば、偵察活動だったことは明らかになります。日本がなぜ、この事実を公表してアメリカを批判せず、単にアメリカを抑留し続けたのかは説明されていません。また、この本が出版されたのは1994年で、2007年にニクマロロ島で行われた調査の結果は反映されていません。この島ではエレクトラの部品らしいものが発見されており、この調査で銅製のベアリングとアメリアのフライトスーツのものかも知れないジッパーの部品が発見されました。
おそらく、この調査の結果が反映されたと思われる劇映画「Amelia」がアメリカで秋に公開されます。イヤハートはヒラリー・スワンク、ヌーナンはユアン・マクレガー、彼女の夫のジョージ・パットナムにリチャード・ギアが演じています。原作は3冊(「East to the Dawn」「The Sound of Wings」「Amelia Earhart: The Mystery Solved」)がクレジットされていて、前述の本の原著「Lost Star: The Search for Amelia Earhart」は含まれていません。スワンクがアメリアを演じるのは、「ミリオンダラー・ベイビー」で類似する役を演じたことがあるからです。成功した俳優に過去の作品と類似した役がオファーされるのは米映画の特徴です。「Amelia Earhart: The Mystery Solved」は、最近発見された無線交信の記録から、エレクトラがホーランド島の手前で燃料がついて墜落したと論じているので、映画もそれに沿ったストーリーなのだろうと想像されます。
イヤハートの飛行がスパイ活動だったかどうかは不明ですが、これが日本軍の戦力に劣る軍事力しか持たなかったアメリカが、少しでも情報を集めようとして計画したというブリンク氏の主張は、当時の様子を考える上で役に立ちます。南太平洋上で、日本が拡張主義を続け、アメリカがそれを警戒していたことについて、日本人は意識が低すぎます。また、日本人は太平洋戦争は物量で負けたと考えています。戦前から物量で負けていたと考えている人も大勢います。しかし、開戦当時の戦力を考えると、日本軍の方が強かったのです。ならば、開戦は誤った判断ではなかったという考え方ができますが、これが戦略上のクレパスなのです。クラウゼヴィッツは、戦争の目的は「相手の抵抗を不可能にすること」だと論じました。仮に戦力で上回っていても、相手の抵抗を断つことができなければ戦争には勝てないのです。日本は日本の近くで作戦行動を行えましたが、ハワイに対しては一回しか攻撃を仕掛けられませんでした。まして、その先の米本土には風船爆弾が僅かな戦果をあげただけで、アメリカの生産拠点を叩くことは、最後までできなかったのです。つまり、相手の抵抗を不可能にすることはできないのであり、もし、アメリカが戦時体制に入って兵器を増産し出すと、日本はそれを止めようがなかったわけです。戦争の結末を予測するには、日本とアメリカが戦時体制を敷いてから何年で、どれだけの差が出るかを考える必要がありした。開戦後の結果を予測するなら、こうしたことまでを考慮しなければ結論は出せないのであり、基地に並んでいる兵器の数だけ見ても意味はないわけです。この点で、短期間しか戦えないと主張した山本五十六海軍大将の発想は偉大だったと改めて感じざるを得ません。並の軍人ならば、武器の数だけで国力を判断してしまったでしょう。かつて、映画「パールハーバー」にも出演した零戦とマスタングが日本にでもフライトに来た時、零戦を操縦したスティーブン・ヒントン氏は、「当時は零戦にかなうような戦闘機はどこにもなかった」と述べたのを、私は聞きました。だから、自分たちは強いのだと勘違いすべきではありません。戦争を考える時は、あらゆる条件を取り上げて、詰めまで進めるかを考える必要があります。もし、その障害が大きすぎるのなら、戦争は手控えるのが軍事の常識です。しかし、人はこの判断をいとも簡単に見誤るのです。湾岸戦争でのサダム・フセインやイラク侵攻でのブッシュ政権のミスがその典型例だといえます。
もし、イヤハートの映画を観ることがあれば、このことを思い出してみてください。