麻生太郎総理大臣は、16日発行の「麻生内閣メールマガジン第39号」を「決断のとき」と題して、総選挙に挑む決意を表明しました。その中に日本の安全保障に関する主張が含まれていました。
以下に、その部分のみを転載します。
一方、わが国の安全保障にも、全力で取り組んできました。
日米同盟は、日本の外交の基軸であり、安全保障の要です。その強化に努めてきました。オバマ大統領とも連絡を密に取りながら、金融危機への対応はもちろん、北朝鮮問題、テロとの闘いなどに、連携して取り組んでいます。
北朝鮮のミサイル発射や核実験は、まさに、国民生活の安全、安心に対する現実の脅威です。わが国は、国連安保理における、北朝鮮に対する毅然としたメッセージをリードしてきました。安保理決議を実効あらしめるため、北朝鮮の貨物の検査を行うための法整備を進めています。既に、衆議院で法案は可決されました。この成立のため、国会における野党の協力を求めます。
原油の9割を中東に依存している日本にとり、ソマリア沖・アデン湾での海賊対策や、アフガニスタンやパキスタンでのテロとの闘いも、生活を維持する上で、死活的に重要です。地域の平和を実現すべく、世界各国と協調しながら、果断に対処してきました。
「国民生活を守り、日本を守る」ことこそが、「政治の責任」です。
細かな指摘はさておいて、常識的に考えても、この中で「アフガニスタンやパキスタンでのテロとの闘いも、生活を維持する上で、死活的に重要です。」について理解するのは困難です。「原油の9割」は確かに重要です。これらがなければ、日本の経済は成り行きません。特に地下資源のようなものは、できるだけ多くの入手先を確保しておくことが重要です。イギリスは大金を投じて北海の油田を開発していますし、アメリカも国内の油田を開発しています。中東が駄目なら、他から入手すればよいという主張は成り立たないのです。しかし、原油はアフガンやパキスタンからは来ていません。よって、何故に「死活的に重要」と言えるのかが疑問です。原油以外にも、アフガンやパキスタンからでなければ入手できない物資はありそうにありませんし、そもそも、アフガンやパキスタンが経済的に特に重要だという議論が、これまで政界や財界で行われたとは信じられません。そもそも、海上自衛隊の洋上給油は麻薬や武器の密輸を防止するという名目で始まったはずです。それが、いつの間にか「死活的に重要」と、格上げされていたことになります。かくなる上は、これらが脅かされるのならば、「座して死を待つわけにはいかない」とばかりに、戦端を開くことになる…のでしょうね?。
これは明らかに、先に重要な「原油の9割」を置き、その直後に、より重要ではない事柄を配置することで、後者も重要にみせかける巧妙な作文技法の典型です。アフガンとパキスタンのテロ問題は、アルカイダによるテロの拡散という問題であり、むしろ民族問題に類する点に気がつかなければなりません。通常の民族自決を求める民族問題とは形が異なってはいますが、アルカイダのような複数の国家にまたがるイスラム過激主義は基本的には民族問題に属します。イスラム教という宗教によって共通する価値基準を持つ者たちが、国境を越えて結びついている点は従来になく、これが戦いの大きな特徴となっています。こうした難しい問題に対して、麻生総理は極めて単純な思考しか持っていないように見えます。すでに、2001年以来、この戦いが極めて難しいものであることは、戦いの実態が証明しています。私は同時多発テロ事件の直後に、アルカイダとの戦いがどう進展するのかを考えてみましたが、これが相当に難しい戦いになることに気がつきました。そして、そうした見解が一度も日本政府から発せられないことを心配してきました。あるいは、自衛隊や防衛省も、これについては同じかも知れません。国民の間にも危機感はないように見えます。こうした誰も配慮していないことが戦争の火種になるのは、このテロ戦争自体が証明しています。かねてから、中東諸国の間にアメリカに対する不満があることは明らかでしたが、そこから現在のような状況を予測し、対策が練られることはありませんでした。私自身も、湾岸戦争のために米軍がサウジアラビアに駐屯することが、オサマ・ビンラディンを激高させ、アルカイダの結成につながることまでは予見できませんでした。こうして、戦いの最中では、勝つための戦略・戦術を練ることと同時に、誰もが目を向けていない部分が新しい問題を生まないかを見ていく必要もあるのです。それは、つまり謙虚に自分自身を見つめて制御していくことでもあります。威勢のよい国防論をぶつ余裕など、そこにはないのです。