オバマ政権初の名誉勲章が決定

2009.7.27



 military.comによれば、オバマ政権下で最初の名誉勲章受勲者が出ることになりました。ジャレッド・モンティ軍曹(Sgt. Jared Monti)の家族は、オバマ大統領から9月17日にホワイトハウスで授与式を行うと電話で連絡を受けました。

 彼の名前を冠する奨学基金のウェブサイトを見ると、彼の階級は正確には一等軍曹で、第10山岳師団に所属していました。名誉勲章に推薦したのは、彼の上官です。findagrave.comの記事によると、彼は2006年6月21日に、16人の部下を率いてアフガニスタンのゴワディッシュ地区(the Gowardesh region)の偵察活動中に戦死しました(米国防総省の戦死公報はこちら)。彼の部隊は少なくとも60人の武装勢力に攻撃され、4対1の劣勢を強いられました。密林の稜線で、敵は2カ所から攻撃してきました。モンティ一等軍曹は反撃し、部下に隠れる場所を探して反撃を命じつつ、同時に無線で部隊に危険が及びかねない近い場所へ間接砲撃と空爆を要請しました。ブライアン・J・ブラッドバー上等兵(Pfc Brian J. Bradbur)が重傷を負い、掩蔽場所から10メートルの場所に露出していることに気がつくと、彼は危険を顧みず、銃火の中をブラッドバーの3フィート以内に接近しました。しかし、モンティ一等軍曹はRPG攻撃により後退させられました。彼は再び上等兵に接近しようとしますが、敵が火力を増したために、その場に留まりました。味方が援護射撃を開始した時、彼はブラッドバーを救出に向かいますが、数歩進んだところで、RPGによって負傷し、これが原因で死亡しました。ほぼ同時期に、モンティが要請した砲撃と空爆が敵の上に降り注ぎ、敵兵22人を殺害しました。military.comの記事には、彼はこの日にもうひとりを救出していたと書かれています。受勲理由は「計り知れない勇気と卓越した武勇」ですが、まさにその通りであったようです。

 記事には彼の受勲歴が次のように書かれています。青銅星章(Bronze Star)、名誉負傷章(Purple Heart)、陸軍称揚章(Army Commendation medal)を5個、陸軍任務完遂勲章(Army Achievement medal)を4個、善行章(Good Conduct medal)を3個、国防章(National Defense medal)を3個。しかし、ウェブサイトにはさらに詳細な履歴があり、細かい受勲も含めると、数はさらに増えることが分かります。しかも、コソボ紛争に従軍し、この戦役章を2個受勲しています。彼は卓越したベテラン兵であったようです。

 彼が称賛される理由を考えてみましょう。通常、軍事作戦は敵の3倍以上の戦力を持ってはじめよといわれています。この交戦では戦力比は4対1で、偵察隊は極めて不利な状態に置かれました。しかも、敵は2カ所から攻撃しています。歩兵戦闘では「側面攻撃」が基本戦術です。これは味方の半分が敵と交戦し、その間に半分が敵の横や背後に回り込んで攻撃する方法です。おそらく、武装勢力はこの方法でモンティの部隊を釘付けにしたのでしょう。数で優勢な敵は、次第に火力で偵察隊を圧倒し、全員を殺そうとします。そこで、彼は撃ち返すことで敵を牽制し、時間を稼ぎつつ支援攻撃を要請したのです。強力な砲爆撃により、敵に死傷者を出させ、これ以上の攻撃を思い止まらせるのが目的です。砲撃は一端照準が確立されると、次々と同じ場所に砲弾を撃ち込めるため、敵は大損害を避けるために後退を決断します。事実、武装勢力は22人の死体を残して退却したのです。つまり、モンティ一等軍曹は部隊の全滅を防いだのです。危険を顧みずにブラッドバーを助けにいったのが「計り知れない勇気」で、困難な状況の中で的確に部隊を指揮して支援攻撃を成功させたのが「卓越した武勇」にあたります。私が彼の上官でも、報告を聞いたら、彼を名誉勲章に推薦したくなるでしょう。

 ブッシュ政権と違い、オバマ政権は対テロ戦争を解決するために生まれた政権です。そのオバマ政権が与える初の名誉勲章ですから、ブッシュ大統領の場合とは性質が違います。どのような受勲式になるのか、いまから注目したくなります。


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