spacewar.comによると、8月4日にオーストラリアのメルボルン警察が20カ所を捜索し、米軍基地に対するテロ攻撃を計画していた4人の男性を逮捕しました。
攻撃対象になったのは、ニューサウスウェールズ(New South Wales)のホルスォース陸軍基地(Holsworth army base)で、アルカイダと提携したソマリアのイスラム運動「アル・シェバブ(Al-Shebab)」と関連がありました。少なくとも1人はソマリアでの戦いの経験者でした。1991年の内乱を逃れた難民の子供たちがテロリストになることが懸念されています。2008年10月29日、ミネアポリス出身のシャリワ・アハメド(Shirwa Ahmed)とイギリス人のアハメド・フセイン・アハメド(Ahmed Hussein Ahmed)は他のテロリストと共にソマリア北部の自爆攻撃に参加しました。シャリワ・アハメドは自爆攻撃を行った最初のアメリカ人でした。2005年7月21日にロンドンの輸送機関を攻撃したテロ犯4人の内、2人はソマリア出身で、残りの2人はソマリアの隣国エチオピア出身でした。ロンドンタイムズは、イギリス人を含む1,000人の外国人聖戦士がソマリアでの聖戦への要請に応じ、アル・シェバブの進歩に重要な役割を演じたと報じています。スウェーデンの安全保障当局者は、20人の同国民がソマリアに行き、アル・シェバブに参加したと述べています。
当然予測されていたことですし、すでにロンドン連続爆破事件で実績もあったことですが、オーストラリアやスウェーデンからもソマリアの戦いに参加する者がいるようでは、事態は深刻です。これまで、人道的な見地から難民が認められてきましたが、そこからテロリストが生まれているわけです。しかし、難民の受け入れを止めることは時代に逆行するだけです。ヨーロッパ諸国には、様々な問題を抱えながら政治難民を受け入れてきた経緯があります。それには重要な意義がありました。かつて、北ベトナムのホーチミンが植民地主義に徹底的に反対するようになったのは、船員として世界を見て回り、植民地がいかに現地から利益を搾取しているかを確信したからだといいます。現在、亡命ソマリア人の子孫たちは、祖国が置かれた状況をホーチミンが見たのと同じように理解しているのです。極度の貧富の差がこういう状況を作り出す点で、人類はまだそのただ中にいるわけです。ベトナム戦争は凄まじい戦いでしたが、ベトナムは戦争を好んだわけではなく、政治目的を達成した後は戦争を行っていません。現在の対テロ戦争も同じような筋道を辿るはずです。そこで見えてくるのは、その筋道の中で、最も戦禍を避けうる選択肢を選び続け、対テロ戦争が終わるまで続ければ、被害は最小限ですむということです。ここに唯一の希望があるわけです。