military.comによれば、約5,000人のアフガニスタン人が、米軍によって子供が死亡したと抗議の声をあげました。また、元ブラックウォーター社の社員2人が、昨年、交通事故の後でアフガン人2人を射殺したとして殺人容疑で逮捕されました。
水曜日に、ナンガルハル州(Nangarhar province)で、アメリカが出資した道路プロジェクトを訪問した外国人部隊を取り巻いた子供のグループを引き裂きました。爆発の数分後に地域の住民が、米軍兵士が人混みの中に手榴弾を投げたと訴えました。アフガン内務省は、通過中の警察車両が地雷を踏んで爆発が起きたと発表しました。死亡した子供の数に関して、NATOは2人と、アフガン政府は4人と主張しています。約5,000人のアフガン人のデモ隊がナンガルハル州とカブールの間の道路に沿ってデモ行進し、オバマ大統領の人形に火をつけ、「イスラム万歳!」「オバマに死を!」と叫びました。一方、タリバンが民間人を殺したときには抗議は起こりません。国連は昨年最初の10ヶ月間で2,021人が死亡したと報告しています。その約465人はアメリカのその他の政府側の軍隊により死亡し、1,400人は武装勢力によって死亡しました。NATOは、昨年、国際部隊によって死亡した民間人は190人、負傷者は344人で、武装勢力によって死亡したのは1,011人、負傷者は2,407人だったと報告しました。
military.comによれば、ジャスティン・キャノン(Justin Cannon・27歳)、クリス・ドロットレフ(Chris Drotleff・29歳)は、第二級殺人罪と殺人未遂罪、武器所持罪で逮捕されました。2人はAP通信に、彼らの車の前部にぶつかり、それからターンして向かってきた車に発砲するのは正当だと述べました。ドロットレフは「私は自分の人生が危険だと感じたときは自分の武器を撃つことを快適だと感じます。その夜、私の人生は100パーセント危険でした」と述べました。昨年5月5日の夜、彼らがカブールに向かう道路を走っていたとき、スピードを出す車が彼らの車列の先頭車両にぶつかりました。キャノンとドロットレフは別の車両に乗っており、助けるために下車しました。事故を起こした車はターンすると彼らに向けて加速しました。2人とも危険を感じて発砲し、ドロットレフは16発入りの弾倉を空にしました。キャノンは自分が何発撃ったかを記憶していません。元社員たちは、ブラックウォーター社が自分たちをスケープゴートにしようとしていると不満を述べました。同社は米軍が契約業者が武器を携帯することを禁止しているのに、一部の社員を武装させていると、2人はいいます。同社の社員は米軍の訓練支援のためにカブールにいました。この事件現場にいた別の社員、スティーブ・マクレイン(Steve McClain)は、同社から受け取った解雇通知に、アルコールに関する規則違反と書かれていたといいます。彼はその日、酒を飲んでおらず、他の社員が飲んでいたのも目撃していないと主張しています。
最初の記事では、タリバンが大勢殺してもアフガン人は文句を言わないのに、外国部隊が1人でも殺すと大騒ぎするといったことが書かれています。しかし、これは当たり前の話なのです。どこの世界に、外国の軍隊が自国の中で好き勝手に行動するのを快く思う人たちがいるでしょうか?。外国の軍隊がやることは、たとえ些細なことでも、相手国の人々に誇張して認識されるものなのです。子供たちが死んだ原因がアフガン政府が言うとおりだとしても、抗議運動が起こることくらいは予測してかからないと、治安作戦はできないというものです。言語や文化の壁は厚いのです。外国部隊がタリバンと公平に扱われないと文句を言うのは、世間知らずとしか言いようがありません。
元ブラックウォーター社員の逮捕は、状況がまだよく分かりません。他の記事も調べる必要がありそうです。見たところは武装勢力の襲撃に対処した結果のようですが、これが輸送車両の車列で、彼らがそれを警護していたのか、単に移動中だったのかも気になります。使用した武器の種類も気になります。最近は16発撃てる拳銃もありますから、自動小銃のように護身用を超える強力な武器だったかどうかも問題です。いずれにせよ、昨年1月末に、イラク政府はこの会社のライセンスを取り消していますから、5月に武器を携帯していたのは違法となるわけです。それでも、企業側は変わらない態度で仕事をしていたのかも知れません。この業界は他の業界では考えられないほど、遵法意識が低いようです。被告とブラックウォーター社のどちらの責任が大きいのかも明らかにされるべきです。しかし、高給取りの民間軍事会社の警備員も、都合が悪くなると簡単に首を切られている現状も明らかになりました。2年くらい前とは状況が大きく違ってきています。
なお、ロバート・ゲーツ国防長官が少なくとも2010年末までは、国防長官を務めるという記事をmilitary.comが報じています。