日本でも大きく報道されていますが、「WikiLeaks」が再び多数の米軍書類を公表しました。military.comによれば、イラク戦に関する書類約400,000点が金曜日に公開されました。
書類は本物であるように見えますが、出所は独立して確認されておらず、「WikiLeaks」はそれらについて情報を提供していません。米国防総省は過去の「WikiLeaks」が公開した記録の正確性を確認することを否定しましたが、過去に何が公表されたかを評価するために100人以上のアナリストを雇い、不正確な情報があったことは確認していません。公開された書類は391,831点で、2004年初頭から2010年1月1日まで、大半は戦場の階級が低い将校が作成したものです。それらは、沢山の武装勢力との戦い、IED攻撃、装備品の故障、民間請負業者による銃撃を載せています。
「WikiLeaks」はAP通信やその他の報道機関に、一般公開の3時間前に、報告書の編集済み版にデータベースを検索するアクセスを提供しました。ニューヨーク・タイムズ紙、ル・モンド紙、ガーディアン紙、シュピーゲル紙などの少数の報道機関は、かなり前にアクセスを与えられました。
初期の情報公開に関して、イラクに配属されたブラッドレー・マニング技術兵(Spc. Bradley Manning)が逮捕されています。
金曜日の公開では、情報を特定する氏名やその他部分は編集されているように見えますが、人々が報復の標的になるという国防総省の懸念に対応して、「WikiLeaks」がどんな人々の氏名の発表を控えたかは不明です。
漏洩した書類は、イラク全土から来た、虐待行為に関する少なくとも300件の報告書を含みます。典型的な事件では、2006年8月、第101空挺師団は、イラク警察が彼を手錠をかけて天井から吊し、水責めで拷問し、棒で殴ったと主張する殺人事件の容疑者を発見したと申し立てました。ディラヤ州の刑務所に拘留された容疑者は、手首、背中、膝に痣を含む虐待の兆候を示しました。第101空挺師団はマリキ首相の事務所に通知し、事件は完了とされました。されました。別の事件では、イラク人抑留者は入院しなければならないほどの重傷で、アメリカの留置へ引き渡されました。米軍が聴取し、写真を撮った囚人は、イラク軍に死ぬほど虐待されたと言いました。他の多数の書面中、こうした事件は連合軍の関与がなかったので米軍は追求せず、多くの報告書は「連合軍は嫌疑のかかった虐待に関与せず、さらに調査する必要なし」と結ばれています。米軍はどのような虐待でも上官に報告することになっており、アメリカの方針はこうした情報をイラク政府と適切なレベルで共有することになっていました。
2007年11月、ティクリートからの報告は、イラク警察に協力しなかった女性が殴打され、強姦されたと書いています。2007年11月、米軍の訓練チームは、モスルの近くで、みみず腫れと痣だらけの拘留者の写真を撮影しました。彼は自分のトラックから爆弾を発見されたあとで逮捕されました。イラク軍の指揮官に確認したところ、彼は部下がやったことで、彼が休暇から戻り次第、逮捕すると言いました。
2009年12月、タル・アファル(Tal Afar)で、米軍は少佐を含む1ダースのイラク軍兵士が拘留者を処刑するビデオ映像を入手しました。ビデオは縛られた囚人が通りに押し出されて撃たれるのを示していました。ビデオで起きたこと、イラク人少佐と兵士に関する記述はなく、事件は完了と記されています。
注意
上記の記事は最初に掲載されたものです。あとで確認したところ、同じアドレスの記事が内容が変わって再掲載されていることが分かりました。続報ならアドレスが別でなければなりません。
新しい記事では、内容が虐待から、イラク人の死者数へと変更されています。国内報道では、変更後の版が引用されているようです。上記の訳は、変更される前のものです。新しい記事の骨子は、アルジャジーラが公開された「WikiLeaks」の情報から、285,000件の犠牲者の記録を見出し、イラク人の死者数は少なくとも109,000人、その3分の2にあたる66,000人が民間人だったということです。先日、米軍は2004年1月〜2008年8月の民間人と治安当局者を含む死者数を76,939人と発表しました(関連記事はこちら)。これが実態よりも遙かに小さいことが確認されました。
本日は日曜日ですが、大きな動きがあったので記事を更新します。記事の重要な点を選んで紹介します。
なぜ記事が変更されたのかは不明ですが、何か問題が見つかったのか、米軍筋から圧力があったのか、何らかの理由があるのでしょう。
この公開で分かったことですが、イラク治安当局の虐待ならば、特に目新しいことではありません。それでも、アルジャーラが犠牲者の報告を集計し、その総計を出したのは有意義なことでした。40万点もの書類は紙でなら持ち出しできません。しかし、USBメモリならば簡単に持ち出せます。コンピュータ時代ならではの情報漏洩です。各国の治安当局に、こうした危機感を持たせたのは、この事件の最大の功績でしょう。