military.comによれば、アフガニスタン人殺害事件で、兵士が死体と一緒に撮った写真が存在することが分かりました。
兵士たちは、電子トレーディングカードのように、電子メールやUSBメモリで写真を共有していました。そうした写真は60〜70枚とされますが、ニュースメディアへの漏洩したり、反米暴力を引き起こすという理由で、公衆だけでなく、被告弁護人の目からも保護されています。エール大学で軍司法研究所の所長で軍法の教授であるユージン・R・フィデル(Eugene R. Fidell)は「我々は一触即発の中にいる」「私は刑事訴追の公開法廷の証拠となれば、それらは公開されると考えます」と言います。ルイス・マッコード合同基地の広報官キャスリン・ターナー少佐(Maj. Kathleen Turner)は、写真は「極めて敏感であり、それが保護命令が出された理由です」と言い、それ以上のコメントを辞退しました。
少なくともいくつかの写真は殺人に関係しています。その他は戦闘で死んだ武装勢力で、一部はこうした殺害を記録する軍の努力の一部として撮影されたかも知れません。
「誰もが写真を共有していました」と被告の一人、ジェレミー・モルロック伍長(Cpl. Jeremy Morlock)は調査官に言いました。「それらは我々がアフガンでかつて殺した全員のです」。モルロックの弁護士マイケル・ウェディングトン(Michael Waddington)は、写真を共有していたのは、被告たちの間だけや小隊ですらなかたっと言います。彼はカンダハル州のラムロッド前進作戦基地(Forward Operating Base Ramrod)では、多くの者が、爆発で吹き飛ばされて切断された頭部を誰かが持っている写真を含む、その種の写真を持っていたという目撃者を引用しました。その写真はモルロックとは関係がありませんと彼は言いました。その写真が事件で押収された写真の一つかどうかは明らかではありません。
9月9日、陸軍検察官は被告たちの軍代理人ベンジャミン・K・グライムス少佐(Maj. Benjamin K. Grimes)に事件の1,000ページ以上の書類を含む包みを渡しました。それは各兵士が死んだアフガン人の頭部を持ち上げる3枚の写真を含んでいました。後日、書類が被告弁護人たちに共有される前、検察官はグライムス少佐の事務所に包みを返すように求めました。検察官は国家安全保障上の利益と、写真がメディアに公表されるという懸念をあげました。最初、グライムス少佐のスタッフは写真を返すのを拒否したものの、翌日、司法手続きを招集したフォート・マッコード基地の司令官バリー・ハギンス大佐(Col. Barry Huggins)が返却を命じ、彼らは応じました。
月曜日、モルロックの事件の予審で、陸軍当局は機密扱いの写真が60〜70枚であることを認めました。被告弁護人は基地の犯罪調査部へ行けば、写真を見ることが許されるでしょうが、コピーを持つことはできません。
事件が通常の軍事行動に見せかける形で行われた以上、記録用に撮影するのに使うカメラで殺人の被害者を撮影した可能性があることは、特に無理なく説明できます。
軍の記録用であっても、若い兵士たちが、面白半分にショック度の強い写真を収集したがることも、特に不思議ではありません。若い男性は自分が強いことを証明しようとして、こうした写真を見せ合ったり、交換しあったりするものです。こうして、米国民をテロから守るという崇高な任務は、横道へ逸れ、くだらない度胸試しへと転落していくわけです。大体、この年の若者は「この写真を高校時代のクラスメートに見せたら、きっと驚くぞ!」とくらいのことしか考えないものです。
異常殺人でも、犯人は現場から「おみやげ」を持ち帰りたがるものです。死体の一部を犯人が切り取り、持ち帰って保管するという異常な行為は、過去の事件にも存在します。兵士の場合、「戦利品」の形で収集が行われることは、過去にも事例があります。
押収されている写真が事件に関係があるかどうかは、調べれば分かるでしょう。いずれ裁判ではっきりすることです。今は、この事実を記憶に残しておくだけにすべきです。