military.comが長期化するアルカイダとの戦いについて書いています。現在、アフガニスタンにいる兵士は、同時多発テロが起きた時に、まだ子供でした。
現在、アフガンで軍務につく20歳の海兵隊員、ジェイコブ・アダム伍長勤務上等兵(Lance Cpl. Jacob Adams)は、旅客機が世界貿易センタービルに突入したときに小学5年生でした。彼の両親はその日早くに彼を学校から連れ帰りました。アフガンとイラクに初期の侵攻を担った多くの男女は、すでに軍を去り、彼らの人生を歩んでいます。
アダムは7月にアフガンに派遣された第9海兵連隊第2大隊と共に最初の戦闘派遣の中にいます。彼は「タイフーン4」と呼ばれる荒れた前哨基地にいて、綿、トウモロコシ、大麻、ケシなどの畑をパトロールします。マルジャには舗装道路と電気がありません。爆弾が沢山隠されています。
同じ部隊のマイケル・チャテル伍長勤務上等兵(Lance Cpl. Michael Chatel)も、9/11に学校から連れ帰られた1人でした。「校長先生が校内放送で静かにするように言いました」「私は本当に何が起こっているのかを知りませんでした。家に帰ったとき、祖母がニュースを見ているのを見ました」。チャテルはこうした日々の早いうちに、軍に志願するのが愛国的なことだと決めました。彼の父方の叔父は朝鮮戦争で捕虜になり、祖母型の叔父は第2次世界大戦でノルマンディに行った空挺隊員で、彼の祖母は戦後ドイツに配属されました。彼は2001年10月にアフガン戦争がはじまったとき、本当に注意を払いませんでした。「私は本当にそれについて耳にしませんでした」「私はそれを憶えていません」。
第2大隊の作戦将校ダラス・シャー少佐(Maj. Dallas Shah)は、海兵隊の世代交代の率は高く、4年ごとに平均して約70%だと言います。これは、契約が終わると約30%の海兵隊員だけが軍に残るという意味だと、彼は言います。シャー少佐が軍に加わったとき、戦闘は1989年のパナマ侵攻、1990年代初期の湾岸戦争のように、短期間の紛争に限られていました。
マルジャに派遣された2個大隊は3ヶ月半で23人を失いました。
冒頭付近を要約しました。関心のある方は全文をお読みください。
このレポートの中には、戦況を知らせる情報は少ないのですが、兵士が志願するときの動機がよく分かる内容になっています。親が軍人の場合、その子供も軍人になる可能性が高いのです。俳優のウィル・スミスも親が軍人であったため、子供の内は自分も軍に入るものと考えていたと言います。こういう傾向は日本の自衛官にも言えます。しかし、こういうことを知らない人が兵士として現場にいるわけです。親の跡を継ぐという動機から、兵士がどんな場面で力を発揮し、また力を発揮しないのかも、その心理面から考えることができます。
私は米軍が最初にアフガンに侵攻したときのことをよく憶えています。カンダハル空港を特殊部隊が夜襲し、戦果をあげたと報じられました。現場で撮影された映像が公開されましたが、戦闘しているところは見られませんでした。しばらくして、この襲撃で米軍に大きな被害が出ていたことが、内部告発により明らかにされました。米軍は国民の志気を挫くことを恐れて、被害を隠したのです。私は米軍の隠蔽に強く怒りました。
この襲撃は太平洋戦争時のドーリットル空襲のように、とりあえず敵に反撃したことを国民に示すために行われたものであり、そこで損害が出たことは隠したかったのでしょう。しかし、対テロ戦は最初からこういう常道を逸した方法で始まり、道を踏み外したように思います。以後、間違った情報が報告されるようになり、それ自体が事件になるようになりました。イラクで捕虜になったジェシカ・リンチ上等兵は銃の故障で発砲しなかったのに、負傷しながらも勇敢に戦ったとか、味方に誤射されて死亡したパット・ティルマン伍長は敵に撃たれて死んだとか、公式な報告が偽られる場合が増え、いずれもメディアが大きく取り上げた事件で問題が起こりました。これは戦争のやり方に、間違った開戦の理由や捕虜の拷問といった後ろめたい材料が含まれたために、他の部門へも拡大していったようにも見えます。
また、この記事は、アメリカがかつて経験したことがない長期の戦争に突入する可能性も示唆します。アメリカは、こういう戦争を勝ち抜くために、明らかに新しいドクトリンを必要としています。世代代わりは現場の兵士だけでなく、上級将校の間でも起こります。そろそろ、対テロに特化した戦略・戦術が誕生してよい頃です。