二重スパイは役に立っているか?!

2010.11.8

 military.comが、タリバンやアルカイダに潜入させた二重スパイについて報じています。かなり長い記事なので、既知の部分を取り除いて、要約して紹介します。

 グアンタナモベイ収容所から釈放されてから数ヶ月後に、アブドル・ラーマン(Abdul Rahman)は、アフガニスタンとパキスタン国境のテロ指導者の中に戻りました。彼は二重スパイで、タリバンとアルカイダの秘密を、情報を西欧諸国と共有するパキスタン情報部へ提供しました。タリバンはラーマンを疑い、何度も尋問した後で彼を処刑しました。西欧の情報当局は、イスラムの同盟者の助けを得て、スパイや情報提供者をアルカイダとタリバンに投入しています。こうした計画は同じ数の浸透者が見つかったり殺されても、成果を生んでいるようです。

 近年、欧米とパキスタンの情報当局者は、アルカイダはアフガン・パキスタン国境地帯でのCIAの無人攻撃機による攻撃と政府がテロ細胞に投入することで弱体化していると言います。トップの指導者は排除され、信頼は戦士が転向しはじめるほどに浸食されました。MI6長官ジョン・サワーズ(John Sawers)は、イギリス情報部がテロ組織の内部に入り込むことに成功したと言いましたが、詳細は示しませんでした。「アルカイダの警備の層は徐々に摩耗し、今日ではこれらのグループに侵入するのはより簡単になっています」と、アフガン、パキスタン、スーダンでアルカイダにつながる聖戦士で、いまはロンドンで警備とテロリズムのアナリストをやっているノーマン・ベノトマン(Noman Benotman)は言います。サウジアラビアはアラビア半島における、スパイで最も成功を収めた国で、それらの一部は元グアンアタナモベイの抑留者だと、ベノトマンは言います。グアンタナモベイでの拘留期間は、上級の工作員の間で尊敬を受け、信頼されるようにする信頼性の究極的な印であり、多くの二重スパイの経歴における新しい資産です。

 サウジはテロリストの、グアンタナモベイ収容所が9年前に開設されてから、ここを出た約800人の男たちの内、約120人を引き受けたリハビリプログラムを持っています。彼らの内、約2ダースは再び武器を取りましたが、少数の者たちは、彼らの家族と部族へ支払われる俸給、借金やその他の金銭的インセンティブと引き替えに、サウジのスパイとして働いていると考えられていると、ヨーロッパの政府当局者2人が匿名を条件に語りました。

 先週の貨物爆弾は2007年にグアンタナモベイ収容所から戻ったサウジ人から得られましたが、今年早くにここに収監され、リハビリプログラムに入れられた別のサウジ人もテロ組織に再参加するためにイエメンに飛び、サウジ当局に投降したばかりです。当局者は、これは彼もまた二重スパイとしてイエメンで活動したことを示していると言います。2003〜2006年にアルカイダがアラビア半島で活動を強化してから、サウジはグループへの潜入を強化しました。元武装勢力の一部は、実入りのよい報酬と王国のワッハーブ派の教義(アラビア半島に生まれた極めて厳格出保守的なイスラム教の形態)へのつながりにより、サウジと共に活動することに同意しました。元グアンアタナモベイの抑留者にはサウジ人はアメリカ人やパキスタン人と違い、多くの囚人の捕獲や逮捕に加担していないと考えられています。

 サウジは、このネットワークを維持するために年間に3億ドルを費やし、イエメン国内に地元の情報の接点を設けた僅かな国の一つです。彼らはイエメンのマリブ(Marib)の部族に浸透するのにも成功してきました。これらの部族の一部への経済的な報償は激しいものでした。サウジのリハビリプログラムを経験した男たちの多くが武装勢力との強いつながりを維持してきました。何人かは裏切ったと考えられましたが、彼らはすぐに失った信頼を素早く取り戻しました。

 元武装勢力がサウジのプログラムを完了すると通信は監視されます。サウジ当局者は、社会的な接触を監視するために、結婚式のような家族のイベントにすら現れます。サウジは元囚人を使っていくらかの成功を収めましたが、結果はラーマンが処刑されたパキスタンのような場所での成功ではより少ないものでした。パキスタン当局者は、過去7年に50人以上のスパイと情報提供者がタリバンやアルカイダに処刑されてきたと言います。アフガンは情報提供者を利用した、もう少しましな結果があります。

 元アフガン当局者は、大勢のアフガン人をパキスタンの部族地域へ、浸透して情報を持ち帰るために越境させたと言います。計画は国際部隊とアフガン政府の両方に情報をもたらして成功しました。

 グアンタナモベイ収容所に2年間以上捕らわれたイギリス人、モーザム・ベッグ(Moazzam Begg)は、CIAとイギリスのMI5とMI6が何年間も繰り返し彼を情報提供者にしようとしたと言いました。しかし、彼は連合軍の捕獲や投獄における役割から、多くのグアンタナモベイの収容者がCIAやパキスタンに転向するのに同意したことを疑っています。サウジと違って国境の激しい軍事活動のために、彼は国境の部族地域はスパイが浸透するのには困難だと言いました。「人々は誰に対しても疑い深くなりました」とベッグは言いました。彼は多くのグアンタナモベイ収容者は長期間収監された後で普通の生活に戻るために苦労したと言いました。一部は以前の友人に接触するのはもちろん、新しいテクノロジーにあたるのが困難なことを見出しました。サウジの元囚人たちにとって、仕事と俸給で人生をやり直すという餌は魅力的だと、彼は言いました。

 アナリストは、他の国も戦術を変えて、元武装勢力の囚人を情報提供者として見ていると言います。ベノトマンは、最高指導者たちを捕らえ、彼らを諜報の資産として保持する間に、細胞のメンバーに彼らが殺されたと告げることでテロ組織を不安定にしたと言いました。ある指導者は二重スパイとして再び現れるまでは、殺されたと考えられていたと、ベノトマンは言いました。インドネシアは2002年のバリ爆弾事件以来、諜報の努力を高めました。600人以上のイスラム武装勢力が捕まり、約20人が警察官と共に活動しています。バリ爆弾犯を訓練するのを手伝ったアルカイダに関連する元武装勢力のナシル・アバス(Nasir Abbas)は、2004年に出所した後で、彼の元の仲間を捜して、逮捕するのを手伝いました。インドネシア国家警察の広報官、マルワト・ストウ大佐(Col. Marwoto Suto)は「我々の主義は、後悔し、政府を助けると約束する元テロリストと原理主義者を利用することにあります」と言います。ベノトマンは「これは通常戦争ではありません」「アルカイダを打倒する唯一の方法はよりよい諜報をなすことにあります」と言いました。


 どうも、CIAなど西欧の情報機関は、テロ組織を抜けて「浦島太郎」状態の元テロリストを徴用するのに苦労しているようです。また、スパイが入り込むことを恐れて、テロ組織がお互いを信じなくなる様子も見て取れます。やはり、拷問でテロリストを屈服させようとしたアメリカのやり方は間違いで、優しく抱き込むという、いやらしい方法が効果をあげていることが分かります。近く発売されるブッシュ大統領の回顧録「Decision Points(決断のとき)」で、彼は水責めを正当化していると報じられています。一方で、アラン・グリーンスパン元FRB議長は回顧録「The Age of Turbulence: Adventures in a New World(激動の時代)」でブッシュを批判していると伝えられます。

 テロリストがテロ活動で失ったものを埋めてやるのはうまい方法です。彼らは政治的な渇望からテロ組織に加わるわけですが、同時に日常生活を離れることで失ったものも認識しています。そこをうまく突くのが、これからの対テロ政策です。日本でも、あさま山荘事件の犯人を自白に導くため、容疑者たちの父親くらいの年齢の捜査官を担当させ、理論で説き伏せるのではなく、心情面から懐柔する方法を用いました。結果として、逃走中と見みられたメンバー全員が内部抗争で死んでいたという集団リンチ事件の自白を実現しました。大韓航空機爆破事件の金賢姫の自供も、徹底して気持ちを解きほぐす方法で得られました。「君が工作員であることは分かっている。嘘をつくな」と説得して、彼女の自供の嘘を次々と指摘し、時には彼女を外へ連れ出して、北朝鮮政府の説明とは激しく違う韓国の豊かさを見せつけることで、心理面から彼女を屈服させたのです。

 情けないことに、日本はブッシュ大統領の「テロと戦う!」という宣言にすっかりのせられ、小泉総理の旗振りにものっかって突っ走りました。この根底には「アメリカと一緒なら大丈夫」という甘い認識しかありませんでした。これが歴史ある日本の英知とは、つくづく情けないと、私は当時思いました。当時から、テロと戦うには情報戦や軍事的な秘密作戦しかないと私は考えていましたが、それと現状がそう違わないことに驚き、誇りを感じるものです。やはり、徹底し手客観的な軍事分析しか、問題を読み解く方法はないのだと確信します。



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