マルジャに市民多数が残留の模様

2010.2.11


 昨日は記事を更新できず、すみませんでした。ここ数日はアフガニスタンのムシュタラク作戦(Operation Mushtarak)に関する報道が増えています。

 military.comによれば、米陸軍は火曜日に事前の活動を開始しました。第5ストライカー旅団と250人のアフガン兵、30人のカナダ人教官はマルジャの北東へ移動しました。目撃者によれば、タリバンは市民がマルジャから待避するのを妨害し、家の中に押し込んでいます。ハンマド・ハキム(Mohammad Hakim)は綿花の畑を放棄することを心配し、最後の瞬間まで待ちました。火曜日に彼は妻と息子9人、娘と孫4人と共に移動しようとしましたが、武装勢力が彼に、周囲の道路に地雷を設置したので家に帰るように、と言いました。NATOとアフガン当局は、軍事活動の後で、この地域に政府の統制とサービスを復活させることを約束しています。火曜日に、南部で爆弾で死んだ米兵を含め、2人のNATO軍メンバーが死亡しました。当局者はマルジャの住民に、作戦が始まったら、道路で移動するのを避けて、家に留まるよう警告しています。グラブ・マンガル知事(Gov. Gulab Mangal)は、少なくとも164の家族がマルジャから避難したといいます。民間の救済団体によれば、アフガンの家族は平均6人で構成されます。

 military.comによれば、第6海兵連隊第3大隊は、マルジャの北方10キロにベローウッド前哨基地を1週間かけて建設しました。迫撃砲や155ミリ榴弾砲も準備されました。いくつかの部隊はすでに街に向かっています。前哨基地は一度しか攻撃を受けていませんが、600人の戦士が籠もるとされるマルジャにより近い中隊は毎日、小競り合いと爆弾に直面しています。工兵隊はマルジャを囲む運河を渡る際に必要な金属製の橋を設置する方法をリハーサルしています。ルート・クリアランス・チームは、地域にばらまかれた爆弾を見つける戦術を微調整しています。いつ攻撃が始まるかは公表されていません。数百人もの戦士は街の中に籠もり、死ぬまで戦うとみられています。

 military.comによれば、海兵隊が水曜日作戦に拍車をかけると同時に、隊員はタリバンの狙撃銃やRPGによる攻撃を受けるようになりました。マルジャから州都ラシュカー・ガーへの道が、車、トラック、トラクター、バスで渋滞すると、戦禍を避ける住民の流れは減速しました。既に待避した164の家族の他に、75の家族がマルジャを去りました。別の当局者は400以上の家族が待避したと言いました。タリバンは火曜日に、逃走中の指導者の名をつけた「オマル(Omar)」という新しいIEDを開発したと主張しました。これは西欧の地雷探知機で見つけられないといいます。

 人口80,000人の街で、避難できたと確認できたのが984〜2,400人程度、たったの3%とは、非常に心細い話です。他にも脱出できた人たちはいるでしょうから、実数はもっと多いのでしょうが、かなりの人が街に残っていると考えられます。彼らが死傷するのは避けられません。

 タリバンの戦術は従来通りで、一部が撤退し、一部が死ぬまで戦うようです。現地勢力は当初約2,000人とされましたが、街に籠城しているのは約800人とのことです。これは以前からタリバンが採用する戦い方です。人員の損失を防ぎつつ、戦いに勝ったと宣伝するのに十分な兵数です。

 オマルがどんな爆弾なのかは記事に書かれていません。本当に探知できないのかも不明です。

 海兵隊はIEDを除去しながら、街の中に向けて進撃します。こうした作戦こそ,米軍の得意とするところです。既存の橋にはIEDが仕掛けられているでしょうから、工兵隊の架設橋を利用します。道路にもIEDが仕掛けられているので、極力、作戦用に設定した道路を使い、工兵隊がIEDを除去した後で道路を使うのではないでしょうか。砲兵隊と航空機との連携で、支援砲火をたっぷりと使うのは言うまでもありません。IEDと敵の位置を特定し、素早く火力を集中して、撃破して前進するのがポイントです。もちろん、IEDと敵の位置はすでに情報収集が始まっており、どう進撃するかはすでに作戦担当将校が検討しています。マルジャの詳しい地図が欲しいところです。作戦の推移については,それほど心配していませんが、アフガン政府による統治を復活できるかどうかが問題です。そのための作戦なのです。


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