「ハート・ロッカー」 観賞のヒント

2010.2.14


The Hurt Locker

3月6日(土)より、TOHOシネマズ みゆき座、TOHOシネマズ 六本木ヒルズほか全国ロードショー!

(c)2008 Hurt Locker, LLC. All Rights Reserved.

 もう一度、「ハート・ロッカー」について解説を書いておくことにします。

 この作品は、今年のアカデミー賞の有力候補です。配給会社は日本人にアピールする材料が少ない場合、アカデミー賞最有力候補というキャッチコピーを使いたがりますが、本作は本当に本命です。しかも、キャスリン・ビグロー監督は、同じくアカデミー賞にノミネートされている「アバター」のジェームズ・キャメロンとかつて2年間夫婦関係にあり、元夫婦の競争となっている点が話題になっているのです。また、作風の違いも興味深いところです。「アバター」は誰にでも理解できますが、「ハート・ロッカー」は観客を選びます。しかし、偶然にも両作とも対テロ戦を作品の背景に抱えています。

 原作はマーク・ボールのイラクでの取材に基づいたレポートで、ボール自身がシナリオを書いてます。だから、リアルな戦争映画のはずだと思うでしょうが、実はそうではありません。ネタバレ覚悟で書くと、爆弾処理班(explosive ordnance disposal: EOD)の描写が正しいのはファーストシーンだけです。具体的には、ガイ・ピアースが演じるマット・トンプソン軍曹の出番のところだけなのです。その後、主人公のウィリアム・ジェームズ二等軍曹(ジェレミー・レナー)が登場すると、物語は意外な方向へと展開します。どこがどう意外かは見てのお楽しみです。判断の材料としてお教えできるのは、元EOD隊員などから「自分の体験とあまりにも違う」という、かなり激しい批判が出ていることです。この作品には米国防総省が協力し、俳優たちが事前に爆弾処理の訓練も受けたにも関わらず、こうした意見が出てくるほど、物語は実際とは違う方向へと展開します。しかし、非常に面白いのは、そうであってもこの作品が非常にリアルなものに感じられることなのです。あるアメリカ人観客の感想には「最初から最後まで肘掛けを握りしめていた」とありました。実はそこに本作の面白さがあります。

 実際と違う描写を用いるのは、最近の歴史映画に見られる傾向です。「硫黄島からの手紙」には、栗林中将の直接の部下たちである兵団参謀が一人も登場しません。参謀の役割は副官の大尉がすべて行う形に脚色しています。これは、栗林中将と仲が悪かったという参謀たちを登場させると、日本軍が統率のない組織だったようになるのを避けるためや、何と言っても、硫黄島に送り込まれた兵士たちの孤独を栗林中将の姿を用いて表現するためでした。例によって、歴史映画には「史実と違う」という批判が必ず出るものですが、兵団参謀がいないことについて批判した意見を、私は公開時に目にしませんでした。これは一番大きな史実の変更であるにも関わらずです。

 「ハート・ロッカー」には、米兵がイラク人の住居に無断侵入するシーンがあります。なぜか、このシーンに関しての批判は、まだ見ていません。私は、これは米兵にとってあまり触れたくない部分だから、批判の材料にならないのだと考えます。なぜなら、米軍は米国内での警察活動を禁じられています。つまり、アメリカ人にとって兵士が自宅を捜索にやって来るなんて信じられない話なのです。しかし、イラクでは米軍は家宅捜索を行っています。もちろん、このことは報道されていますから、アメリカ人も認識はしていることですが、率直に言うと「認めたくない」ことなのです。だから、批判の対象から無意識に排除されてしまうのです。

 最近の歴史映画のトレンドは、描写の具体的な部分が史実と違っても、出来事をよりよく観客に伝えるためには、大胆に変更することなのです。たとえば、マリリン・モンローの伝記映画「ノーマ・ジーンとマリリン・モンロー」では、モンローは救急車の車内で搬送中に死亡します。実際には、家政婦が発見したときには、モンローは寝室でおそらくは死亡しており、主治医2名が呼ばれ、蘇生を試みた上で死亡を宣告しました。こうした史実を映画制作者が知らないわけがありません。なぜこんな描写を彼らが考案したのかを考えるべきです。モンローは女優としての曲がり角の年齢を迎え、自分でも今後の自分を立て直すために努力をはじめ、周囲もそれに応えようとしていました。複数の精神科医から多量の睡眠薬をもらうのをやめ、高名な精神科医1人の治療を受け、薬の量を制限し、演技の勉強も行いました。しかし、それらが成功する前に、モンローは命を落としました。この経緯を表現するのに、搬送中に死亡というシーンは非常に効果的なのです。史実を知っていても、私には、このシーンは非常にリアルに感じられたものです。

 おそらく、EODの活動をそのまま描写すれば、「ハート・ロッカー」はまったく退屈な作品になったでしょう。米軍は多くの場合、発見した爆弾を爆破処理しました。多分、米軍だって、米国内でこんな荒っぽい爆弾処理はしないでしょう。米軍が住宅地でもそうするので、イラク軍の爆弾処理班が「信管を抜けば済むから、自分たちにやらせて欲しい」と言っても米軍が許可してくれないと不平を言うのを、私はドキュメンタリー番組で見たことがあります。当然、爆破処理すれば、趣意の住民から、爆風や破片で家が壊れたといった苦情が寄せられるでしょう。その補償のプロセスを描くのが、劇映画としてリアルなのかという問題が当然出ます。

 EODとはまったく無関係の民間軍事会社の武装警備員もなぜか登場します。そのチームのリーダーを演じるのは、スター俳優のレイフ・ファインズです。「あっ」と言うほど彼の役は意外なものです。どう意外かは、やはり見てのお楽しみですが、そこにも作品のテーマが込められているのは、お教えしておいて構わないでしょう。

 他にも解説できることは色々ありますが、それらを書けば観賞時の興味を損ねてしまうでしょう。でも、このウェブサイトで紹介してきた対テロ戦争に関する様々な事件は、必ず観賞の役に立ちますから、思い出しながら観賞してください。

 公開後、十分な期間を置いて、もう一度、本作について解説すべきかも知れません。どうするかは、私にちょっと考えさせてください。なお、観賞のヒントとなるべき事実関係については、劇場用パンフレットで私が解説しています。


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