「ハート・ロッカー」訴訟 主人公は俺だ!

2010.3.4
修正 同日22:10


 先日、「ハート・ロッカー」のプロデューサーが、アカデミー賞での競合作「アバター」に投票しないように電子メールで呼びかけて、アカデミー賞授賞式に出席できなくなるという失態を演じました。今度は、主人公のキャラクターが自分の経験に基づいていると、米軍兵士が訴訟を起こしたと、military.comが報じました。

 ジェフリー・フィーガー弁護士(Attorney Geoffrey Fieger )は、ジェフリー・セーバー二等曹長(Master Sgt. Jeffrey Sarver)の代理として、数百万ドルの訴訟を起こすと発表しました。セーバー二等曹長は、脚本を書いたマーク・ボールは、彼が所属した3人の部隊に従軍取材し、ボールが集めた情報が映画で使用されていると主張しています。セーバー二等曹長は、主人公のジェームズは自分をモデルにしており、ジェームズの無線のコールサイン「ブラスター1」が、彼の派遣期間中、他に存在しなかたっと主張します。また、「ハートロッカー(The Hurt Locker.)」という言葉も自分が作り出したと主張します。フィーガー弁護士は、2004年に30日以上従軍したボールのレポートは、翌年にサーバーに関するプレイボーイ誌の記事となり、このストーリーが映画「ハート・ロッカー」のシナリオとして脚色されたと述べました。「プレイボーイ誌の記事を読んで、『ハート・ロッカー』を見れば、『ブラスター1』はサーバー曹長で、『ハート・ロッカー』でウィリアム・ジェームズと呼ばれているキャラクターであることに疑問の余地はありません。この映画の中の『この映画はフィクションであり、劇中で描かれるすべてのキャラクターはフィクションです』という警告は、フィクションの声明です」とフィーガー弁護士は主張します。配給元のシュミット・エンターテイメントは「セーバー二等曹長の主張が素早く解決されることを望みます」という声明を出しました。「この作品は、戦場で勇敢な男女たちが行ったことを、架空の説明で描写した英雄物語です。私たちは、セーバー二等曹長が名誉をもち、より大きな大儀のために、自分の命を危険さらして、国家に貢献したことを疑いません。しかし、私たちはマーク・ボールが書いたフィクションの脚本に基づいた映画を配給しました」。被告人は、ボールと監督のキャスリン・ビグロー監督で、訴えはアカデミー賞の投票が済んだ後で行われました。フィーガー弁護士は、拝金主義がセーバーが映画に参加したり、主人公を生んだ彼の役割を認められることが許されなかった理由であり、被告らはセーバーに莫大な金を払い、感謝を与える義務があると言いました。セーバーは、彼は映画制作のための役割をまったく与えられなかったと言いました。「私は彼らを少し助けてあげられたはずです。でも、彼らは(私が関与することを)選択しませんでした。私は少し傷つき、少し取り残された(ように感じました)。フィーガー氏が問題を正してくれることを願っています」と、彼は述べました。

 私には、セーバー曹長の主張が認められるとは考えられません。セーバー二等曹長は公務で、ボールの従軍取材を行ったのです。そこで見聞したことをボールがシナリオに書いたとしても、そこから生まれる経済的利益にあずかれるわけではありません。早い話、セーバー二等曹長は上官の命令を受けて、ボールを仕事に同行しただけです。彼の個人的な活動から得たノウハウをボールに伝授し、それを無断でボールが映画化したというなら話は別で、この場合は訴訟の余地があります。しかし、セーバー二等曹長は陸軍が彼に教育した仕事をボールに見せただけです。そうだとすれば、彼が映画制作に協力するのは、陸軍が彼にそうしろと命じた時だけということになります。陸軍の技術は公共の財産であり、公開されているものを利用する分には、特に差し障りがない限りは自由なのです。また、プレイボーイ誌の記事は構わずに、映画だけを、しかもアカデミー賞の投票が終わった直後に訴えた理由に疑問があります。

 配給会社のコメントは、セーバー二等曹長の主張を受け入れるという意味ではありません。とりあえず、必要なコメントを出して、対策を練っているのです。

 映画がボールの取材に基づいて書かれたことは、マスコミに配布されているプレスにも掲載されており、マスコミはこれを基にして作品を紹介しています。よって、制作側にはこれを隠した事実がないことは証明できます。「ブラスター1」というコールサインを根拠に、プレイボーイ誌の記事に書かれた自分がジェームズだと主張することは可能です。しかし、この主張には大きな問題があります。ジェームズの爆弾処理方法は、セーバー二等曹長が行った方法とは著しく違っているはずだからです。前の記事で、現役EOD隊員がジェームズをどう評価しているかを紹介しました。ジェームズと同じことをするEOD隊員はいないのです。彼のキャラクターは、作品のテーマに合わせて作られたもので、現実の兵士を表現しようとして書かれていません。それが脚本の大きな特徴です。従って、ほとんどの部分において、ジェームズはボールとビグローが作り出した架空のキャラクターだと言えるのです。「あなたは、ジェームズが劇中でやったように、軍の指導と違う方法で爆弾を処理して、戦友を不安に陥らせたことがありますか?」「あなたはジェームズのように、兵舎で禁止されている飲酒をしたり、武器を持って無断で基地を抜け出し、民間人の家屋に無断侵入したことがありますか?」と質問されたら、セーバー二等曹長には答えようがないはずです。ジェームズというキャラクターは、ほとんどが作り上げられたもので、実在すれば、上官から叱責や処罰を受けるようなものなのです。そのため、劇中には彼の直接の上官は登場しないという工夫が脚本に施されています。上官が登場すれば、話に矛盾があることが露見するから、意図的に隠されているわけです。実は、軍人からは、登場人物たちが指揮系統の中にいるように見えないという批判も出ているのです。こうした工夫は、明らかに登場人物が誰もモデルにしていない証拠と言えます。

 「ハートロッカー」という言葉をセーバー二等曹長が作り出したことをどう証明するのかは不明ですが、それができるとしても、これで一々訴訟を起こせるのなら、マスコミの取材や映画制作は不可能になります。取材対象が喋ったことを報じるのに、著作権料を支払えというのでしょうか?

 この訴訟はセーバー二等曹長の勘違いに起因しています。こんな訴訟は自分を惨めにするだけです。彼はボールの取材を受け、それが映画化されたことを誇りに思い、むしろ自慢の種にすべきでした。私が兵士なら、そうします。そもそも、この種の訴訟は人気作品にはつきもので、食傷気味なのですから。


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