military.comが、カンダハル市に近いザリ地区(Zhari district)の奪取を狙う米軍の活動を報じました。
米軍指揮官はモハンマド・オマール師が10年以上前にタリバンを組織したこの自治区における彼らの軍隊を強化し、カンダハル市から東に20マイルにあるザリ地区の支配を取り戻すことを望んでいます。タリバンはここをカンダハル市を攻撃するための中心的な指揮統制センターの一つとして使っています。50万人を擁するカンダハルの治安は、米軍のこの夏の目標です。米軍主導の軍隊はザリと街の北と西のその他のコミュニティを支配しなければなりません。ザリ西部の作戦をになっている、ストライカー大隊の副指揮官、デイブ・アブラハム中佐(Lt. Col. Dave Abrahams)は、「カンダハル戦のための戦場です」「タリバンはこの地域で自由に移動し、作戦を統制しています」といいます。連合軍は現在、夏にザリの兵数を3倍の3,000人にする計画です。それでも、ほとんどタリバンが支配するザリを確保することは困難でしょう。新しい部隊、敵に関する情報の慢性的不足、重装甲車両の保護を奪うデコボコの土地、地元アフガン保安軍と歴史的にタリバンを援助、支援した地元住民の問題を克服しなければなりません。ザリ西方の第1歩兵連隊第2大隊指揮官、ジェフリー・フレンチ中佐(Lt. Col. Jeffrey French)は「彼らはいま確実に、武器、弾薬、爆発物とIEDを作る材料の事前集積所を持つ時間のアドバンテージを持っています」といいました。フレンチ中佐は、この春に追加の戦士がザリへ移動するのを見ました、タリバンがここにどれだけいるかを知らないとも言います。ラオ・ケール(Lako Khel)の前哨基地で小隊を指揮するスコット・ドイル大尉(Lt. Scott Doyle)は、農民とタリバン戦士を見分けることが難しいと言います。「彼らにとって、数発を発砲して、武器を置き、シャベルを持って立ち去ることは簡単です」。ラオ・ケールは、1994年にオマル師がイスラム学校を運営したシンゲザル(Singesar)の西1マイルにあり、いまもタリバン運動の温床です。連合軍は兵数不足のため、この村や聖地を目標にすることができませんでした、現在は、ロードアイランドの10分の1、65,000人がいると見積もられるザリに約1,000人がいます。「基地から数キロしかパトロールできない土地が展開しています」とクリストファー・ウーリッチ大尉(Capt. Christopher Ulrich)は言いました。基地の外では、歴史的にタリバンを支援してきた住民との対立します。「我々がこの夏に通常の方法でザリに入れば、我々は抵抗に遭うでしょう」と、アフガン南部のNATO軍の副作戦将校、デビッド・ベロン大佐(Col. David Bellon)は言います。連合軍は政府の意図を住民に理解させる方法を見つけ出そうとしていると、ベロン大佐は言いました。しかし、その努力の先頭を切った地区知事は2週間前に辞任しました。知事がいても、住民と政府の協力の向上はタリバンの脅迫の朝鮮を受けます。地区知事はそのために米軍基地を拠点としなければなりません。タリバンに反対する者すら、この夏の攻勢に慎重です。地区政府と共に活動する部族長のグループは、要望リストを発表しました。それは、攻勢作戦が民間人の犠牲を避けること。相当した地域を維持し、アフガン軍を中心に配置することを求めていました。
ざっとした訳ですが、これにもこの夏の攻勢に悲観的になら去るを得ません。もう何度も書いているので繰り返しになりますが、重要なのは戦闘終了後に行政サービスを復活させて、住民の支持を得ることです。ザリの戦いは、作戦自体も、行政サービスも、どちらも難しすぎます。部隊指揮官から聞こえる声は、これまで言われ続けている戦術上の問題を何ら克服していません。もはやコメントする必要もないと思われるので、これまでにします。