天安事件:座礁と衝突が本当の原因?

2010.6.25

 韓国海軍の天安撃沈事件に関して、元調査委員のシン・サンチョル氏は「天安は座礁した後、何かと衝突して沈没した」という説を主張しています。シン氏はこの主張のために調査委員を解任され、さらに韓国海軍から名誉毀損で訴訟を起こされています。憤りを感じたシン氏は、ヒラリー・クリントン国務長官にメールを出して、私見を公表しました。

 韓国海軍の訴訟について、先にコメントしておきます。韓国の法理論は分かりませんが、日本の法律の視点から言うと、国家機関が民間の科学者が出した見解を、名誉毀損で訴えるのは理解しがたいことです。これでは、政府の見解と違う主張をすることを、政府が罰するのに極めて近いからです。現段階で訴訟にすることも妥当とは思えません。韓国政府の最終報告は出ましたが、ロシア政府の調査はまだ続いており、裁判には時期尚早です。あらゆる面で、訴訟に馴染まないと感じるからです。問題があるとしても、政府側は記者会見で見解を発表すれば済む話です。だから、シン氏の憤りについては正当性があると考えます。

 シン氏が主張する説はインターネット上のさまざまなサイトで読めます(英語版英語と日本語の併記版)。私は、シン氏の主張は、座礁による沈没だとしか認識しておらず、その可能性はないと考えてきました。しかし、シン氏は実際には、座礁だけでなく、座礁の後に続いた衝突によって沈没が起きたと主張していました。そこで、改めて、シン氏の説について考えてみたいと思います。

 ただし、私にもシン氏の疑問に答えるすべての情報は入手できません。たとえば、遺体の状態についてのシン氏の疑問は、私には遺体の写真を直接に見ることができないので判断ができません。よって、こうした部分では結論を述べることができません。

 上にあげたサイトに掲載されている日本語訳については、同意できない部分もあります。以下の日本語訳を参考にしてください。また、写真等の図版については、元の記事を参照してください。

 以下、シン氏の主張と私の見解を併記していきます。太字部分がシン氏の見解です。

 シン氏の結論部分を最初に掲載します。

(1) 最も重要なのは事故は連続して2度あり、1度ではなかったということです。

(2) 最初の事故は上記の証拠から「座礁」でした。

(3) 「砂の上への座礁」はいくらかの損傷をもたらし、浸水を起こさせましたが、それ自体は船体が2つに壊れるような深刻な状況を生みませんでした。

(4) 2度目の事故が沈没への反撃を放ったのです。

(5) 私は「爆発」の僅かな兆候すら見出せませんでした。

(6) 2度目の事故は、上記の私の分析では「衝突」でした。


 ちなみに、座礁でも別の主張をしている人もいます。釜山大学のパク・ジョンキ教授は次の説を提唱しています。(記事はこちら


(1) 天安が浅瀬で座礁。

(2) 船底に損傷を受けて浸水が発生。

(3) 後部が浮力を失って水没し、船体が2つに断裂。金属がバラバラになる音が、爆発音のように聞こえました。

 以下に、シン氏のレポートで、特に気になる部分を抽出して、私のコメントを逐一書いてくことにします

6.2010年3月26日に何が起きたのか?

772から司令部への第一報は「座礁!」でした。
司令部から沿岸警備隊への第一報は「座礁!」でした。
政府への第一報は「座礁!」でした。

沿岸警備隊管区長 B.I. Lee
「『座礁』との第一報を受けて、501巡視艇に直ちに現場へ行くように命じました」。
2010年3月29日 MBCニュース

 「772」は天安の艦番号です。私が聞いている天安の艦長から司令部への第一報は「敵の攻撃を受けた」です。また、艦長は「魚雷の攻撃だと思う」という所見も伝えていたと聞きます。座礁という話は初耳です。韓国海軍では、こうした報告が習慣だとか、内部的なことまでは分かりませんから、なぜ座礁という報告が流れたのかは分かりません。しかし、これは天安が攻撃を受けたときに座礁したことも示す可能性があると、私は考えます。

8.「最初の座礁」を示す作戦地図が見つかる
海軍当局は「この地図は我々のものですが、遺族がそれを取り上げ、そこにメモを書き込みました」と言いました。しかし、別の遺族は、韓国放送システム(KBS)の「追跡60分間(Trace 60 Minute.)」という時事番組のインタビューで、海軍がこの地図を用いて事故を説明し、明確に「第一の座礁」について述べたと語りました。

 写真には、作戦地図の上に書き込みがあって、次のように書かれていることが分かります。


 満潮 03:40 16:13
 干潮 09:57 22:39
 平均水深 6.4m

 第一の座礁
 6.4 m 平均水深
 4m 事件当時の水深

 さらに、この地図を使って海軍が説明をしているような写真が紹介されています。それには地図上に赤丸が書き込まれているのが確認できますが、肝心の書き込みまでは判別できません。同じ地図である可能性は高いものの、書き込みの有無は分かりません。

 それにしても、水深4mとはかなり浅いところを航行したものだと思います。天安の吃水(船体の最下端から水面までの垂直距離)は2.9mです。海底までは1m程度しか余裕がありません。海図が示す水深が常に一定とは限りません。潮の干満だけでなく、砂や泥の堆積、海底火山の隆起などにより、水深は変化します。

9.「座礁」の証拠
(1) 船体側面下部の大きなひっかき傷
(2) バルジキールの損傷と周辺の食い込み

 シン氏はさらに、(4)において、2002年6月の2度目の戦いで黄海に沈没し、引き揚げるまでに53日間かかったPKM-357の船底とPCC-772を比較しています。PCC-772はひっかき傷があるのに、PKM-357の船底には傷がないと主張します。(10)では、ソナードーム(船底に設置されている音響探知機「ソナー」を収めた半球体の装備)が損傷していなかったことは座礁していないという国防大臣の発言を、実際の座礁の写真を引用し、座礁しても船底が損傷しない場合もあると反論しています。

 しかし、引用されている写真は、浅瀬で船体の一部が座礁した場合で、シン氏が主張するように、船体に広範なひっかき傷ができるような座礁の場合は、ソナードームが損傷する可能性は高いと考えるべきです。天安は船体が分断された後で、右に横倒しになったことが確認されています。この後で潮に流されながら移動しつつ沈没したのですから、浅瀬で岩礁に乗り上げる座礁と比較するのは妥当ではないと思われます。

 それにしても、このひっかき傷は非常に気になります。韓国海軍が公表した天安の写真(pdfファイルはこちら・ウェブ版はこちら)を見ると、傷が両舷の艦首から艦尾まであるのが分かります。しかし、これは別の疑問を湧き起こします。傷は喫水線の近くから船底までついています。これは船体の一部が岩礁に乗り上げただけでは生じる傷ではありません。船底全体が海底に接触して、はじめて生じる傷です。ここまで重度の座礁では、艦船が自力で脱出するのは不可能と思えます。しかし、シン氏の主張では天安は短時間で座礁から抜け出し、その後、何かと衝突したことになります。これは不自然です。

 このひっかき傷に見えるものが、ほんとうに傷なのかが疑問です。また、傷だとしても、事件時についたのかどうかは分かりません。事件前にすでにこの状態だったとか、沈没したときについた可能性も考える必要がありそうです。

(3) 押しつぶされた右舷側、5枚のスクリュー翼
 前方へ押しつぶされた損傷は、艦艇が砂か泥の山に座礁したとき、危険な状態から逃れるために「エンジン全速後進」を行ったことを証明しています。

 スクリュー翼が確かに潰れていることは写真で確認できます。5枚の翼がすべて前方に曲がっているとは断言できません。気になるのは左舷側のスクリュー翼に変形があるかどうかです。両舷にひっかき傷があるのなら、スクリュー翼も両舷で破損する可能性があります。また、翼が前方に曲げられたのは、後退したときだけでなく、海底に接触したときにも起こり得ます。爆発はエンジンの回転を止めるでしょうが、完全にスクリューが停止する前に岩礁などに接触した場合、艦尾から沈没した場合は、似たような損傷がみられるはずです。韓国海軍が発表している写真(ウェブ版)では、エンジン室は損傷が低いことが分かります。エンジンがすぐに停止しなかったとしてもおかしくはありません。

11. 4月25日 - 海軍当局の中間報告

貫通なし
火災による損傷なし
熱の発生なし
破片なし
ケーブルのカバーに損傷なし
オイルタンクおよび弾薬庫にまったく損傷なし

これが決め手です。「爆発はなかった!」と宣言するのに十分です。しかし、彼らの結論は「水中で非接触の魚雷攻撃」でした。信じられません。722の真下3mで魚雷が爆発し、損傷がなく、鋼鉄を切断しただけなのです!

 これらの説明には疑問がありますし、シン氏の主旨が分かりません。本当にこのような中間報告が出たのでしょうか?。特に「ケーブルのカバーに損傷なし」は意味が分かりません。韓国海軍が公表している写真では、切断面に切れたケーブルが沢山確認できますが、これを指すものではないのでしょうか?。破片はないとしても、水圧がつけた跡を示す写真(ウェブ版の写真を参照)はあります。キールが上方へ向けて曲がっていることを示す写真もあります(ウェブ版の写真を参照)。写真を見れば見るほど、爆発が船底で起きたことを納得させられます。シン氏は魚雷が船体に接触して爆発するものだと思い込んでいるのではないかと想像します。最近の誘導魚雷は、目標の船底に到達したところで起爆するので、接触しないのが普通です。破片で船体を破壊するのではなく、強力な水圧を生み出して破壊することに主眼が置かれています。

12. 魚雷が爆発したのならば

・それを起こした巨大な爆発が艦艇を2つに破壊するに足るのに、どすうれば切断区域の近くで見つかった遺体が、あれほど綺麗だったのでしょう?
・どうすれば船底に破片の貫通がまったくないのでしょうか?
・どうすればケーブルを覆うビニールが損傷を受けないのでしょうか?
・なぜ大爆発が起こったのに、その海域に死んだ魚すら見つけられないのでしょうか?
・なぜ、誰も耳鼻に疾患が、鼻血すらもまったくないのでしょうか?
・「座礁」から抜け出した後で、深刻な損傷を引き起こした2度目の事故は何でしょう?

(1) 岩礁への衝突 (2) 爆発 (3) 金属疲労 (4) 衝突 これらで十分でしょう…

(1) この海域に砕けた岩礁はありませんでした。岩礁は除外されます!
(2) 爆発の兆候はまったく見つかりませんでした。爆発は除外されます!
(3) 裂け目は船底から始まっていました。金属疲労は除外されます!
 残る一つは(4)の真相。それは「衝突」です。

 こうした理由で私はこの結論に達しました。あらゆる知識、経験と分析からして、1度目の事故は「座礁」で、2度目のそれは「衝突」です。

 ここでの説明で気になるのは、いずれも決定的な証拠ではなく、専門家らしくない疑問の羅列であることです。たとえば、死んだ魚がいないのは、救助活動をしている内に、魚の死骸が流されてしまったとしても説明がつきます。事件直後から、死んだ魚を探す努力が行われたのに発見されなかったのなら別ですが、そんなことをやろうとは誰も考えないでしょう。まず、魚雷が爆発したら、必ず船底に魚雷の破片が貫通した跡が見られると言えるのかどうか、証拠を示す必要があります。私の想像では、どの海軍もそのような実験は行っていないでしょう。魚雷の起爆実験は、艦艇を破壊できるかどうかに主眼が置かれ、破壊した艦艇を引き揚げて、破損状況を調査した事例があるのかが、そもそも分かりません。魚雷による損傷をこれほど詳しく調べたのは、天安がはじめてだろうと思われます。魚雷の爆発による圧力で、耳鼻器官への障害が起きた実例は、私は聞いたことがありません。衝撃波の大半は海水と船体が引き受けるので、乗員に著しい被害が出ない場合もあると想像します。もちろん、爆発の近くでは、そうした現象が起きても、おかしくはありません。

14. 何と衝突したか?

(1) 軍艦かも知れません。軍政府の規則は、この海域での夜間の漁獲を禁じ、日没の1時間前に戻る必要があると定めています。
(2) 言うまでもなく、「水上艦」や「潜水艦」のひとつかも知れません。


 衝突による沈没はありそうにない話です。船体は下から上へ突き上げられるように変形しており、これは衝突による損傷とはまったく異なると考えるからです。衝突なら側面が大きくへこむはずです。護衛艦「くらま」と韓国籍のコンテナ船「カリナ・スター号」が関門海峡で衝突したときのことを思い出してください。船体は衝突した部分だけが破損し、火災も起こりました。天安は切断部分が一部バラバラになって、船体から脱落しています。衝突事故なら、このように船体の一部が破断面から脱落するようなことにはなりません。それが可能なのは、おそらくゴジラくらいでしょう。

 また、天安にこれほど大きな損傷を与えた場合、ぶつかった船は少なくとも航行不能になるでしょうし、直ちに修理のためにドックまで曳航する必要があります。これが誰かの目に触れないはずはありません。艦底に損傷があったのなら、潜水航行中の潜水艦との衝突と言う人がいるかも知れませんが、これほどの損傷を受けたのなら、衝突した潜水艦は、沈没するか少なくとも浮上して救助を待つほどの危険な状態になるはずです。

 さらに、潜水艦のはずがないことは、シン氏が示した証拠が示しています。現場水域の当時の水深は4mでした。潜水艦が潜水して航行できるはずはありません。前述したように、航行して衝突したのなら、下から上へ向けて船体が変形することはありません。また、周囲が座礁しかねないほど浅くて、安全に航行できる場所が少ししかないのであれば、衝突した側も座礁した可能性もあります。この状況で、衝突した船があとかたもなく姿を消すとは考えにくいのです。また、衝突であれば、衝突した船の塗料が天安に残った可能性もあります。もちろん、衝突した船にも天安の塗料が付着しているはずです。

 以上、私はシン氏の説に対して、すべてを完全に反論することはできませんが、シン氏の説は魚雷説を完全に否定するものではないと考えます。



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