菅総理の「核抑止力」発言は無意味

2010.8.9

 今日は長崎に原爆が投下された日です。6日に菅直人総理が記者会見で「国際社会では大規模な軍事力が存在し、核兵器をはじめとする大量破壊兵器の拡散もある。不確実な要素が存在する中では、核抑止力は引き続き必要と考えている」と発言し、反核団体から抗議が行われました。


 記者会見の内容は今のところ、総理官邸のホームページに載っておらず、どのような質疑の中で出たのか、私は確認していません。しかし、「唯一の被爆国」日本の総理大臣ならば、これはすべきではない発言でした。

 「核抑止力」。あるいは単に「抑止力」とも書かれますが、通常兵器の場合も含めて、武装することで敵の攻撃を思い止まらせることを指す言葉として使われています。核抑止力と書いた場合は、核兵器のそれを指します。しかし、日本では常に安直に用いられることが多く、核抑止力に関する議論の多くは無意味です。今回の菅総理の発言も極めて不十分で、意図がつかめない内容でした。民主党の安全保障論には、常に失望させられてきました。そもそも、民主党に安全保障論があるかどうかすら、私には疑問です。最悪なのは言葉を、その意味を知らずに、他人を黙らせるのに便利だから乱用することです。

 「核抑止力」の場合、「他国が核兵器を持っている場合、こちらも核兵器を持っていれば、他国は核攻撃をためらう」という発想だけで、すべてを語ろうとする人を見かけます。しかし、実際に核戦争の手前まで行ったキューバ危機では、カストロ議長はアメリカの核報復を恐れず、ソ連にアメリカを核攻撃するように進言しました。祖国が滅ぶくらいならば、敵国も道連れと考えたのです。核抑止力も時と場合によっては、効をなさない場合があります。また、アルカイダのような、活動地域を問わず、無辜の民間人が多数居住する場所で活動する相手に使うことはできないという欠点もあります。北朝鮮に対して用いれば、韓国や日本に放射線による被害が及ぶ恐れがあり、それは在日・在韓米軍の隊員と家族にも及ぶでしょう。

 また、少なくとも、核装備について考えるのなら、核兵器の運搬手段(航空機、ミサイル、砲弾など)、核弾頭の大凡の規模と数について語れることが必要です。これらを公表することで、どの程度の報復力があるかを外国に知らせて、はじめて抑止力が効果を生むためです。菅総理の発言には、その片鱗すら見えません。単に、世界はまだ危険だから核抑止力がいると言っているだけです。

 よくテレビ番組では「核装備の是非」だけを論じますが、これは意味のない議論です。多くの場合、こういう議論で核装備に賛成するのは、極度の臆病者か、犬の権勢症候群みたいな性格の人です。核抑止力に対する考え方も、国によって異なります。各国には伝統的な戦略戦術の考え方があり、まったく同じではないのです。このため、核装備国は、それぞれ異なるスタイルの核兵器を持っています。

 日本がアメリカの核の傘に入るのをよしとするのなら、彼らがどんな核戦略を採用しているかを知る必要があります。また、核兵器の管理、つまり核兵器に関する事故に関しても関心を高く持つべきです。いずれも、国会で重視されてきたという記憶はありません。自民党政治が長く続き、対米追随を主たる政策とする自民党に、そんなことができないのは当然でした。ならば、なぜ民主党が同じ道を辿ろうとするのか、私には理解ができません。民主党には、安全保障問題全般におけるセンスが感じられないのです。

 核抑止力が必要だという前に、その実態や、本当に効果があるのか、そのデメリットは何かを検討するべきです。それなしに、言葉の上だけの議論を展開することに意味はないのです。

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