岡田克也外相が元米兵捕虜に謝罪したことを、military.comが報じました。これで、日本は戦争犯罪を謝罪しないという、アメリカからの批判にようやく公式に応えることができました。
国内でも報道されているので、細かいことは書きません。気になるのは、レスター・テニー氏(Lester Tenney)が日本政府の招待で来たことは書いてあるものの、どういう立場なのかが分からないことです。米政府が仲介に入っているのか、民間の活動なのかも書かれていません。今回の来日至った経緯も不明です。それが書かれていれば、今回の謝罪の意義がもっと分かるはずです。たとえば、自民党政権がずっと拒否してきたことが、民主党政権で実現したのかといった事実関係も、読者には重要な情報です。
テニー氏に捕虜の代表の資格があることは説明を要しないようです。彼は1942年に捕虜になり、「バターン死の行進」を体験しました。記事の説明を引用すると、78,000人の捕虜(アメリカ人が12,000人、フィリピン人が66,000人)が、フィリピンのルソン島のバターン半島から捕虜収容所まで歩くことを強制され、およそ11,000人が死亡した事件です。
捕虜を殺すつもりで移動させたのではないものの、捕虜がすでに栄養失調になっていることを無視して、長距離を歩かせたために、多くが死亡する大事件になりました。現代の日本人には理解できないかも知れませんが、当時の日本軍は捕虜を人間扱いしませんでした。映画「戦場にかける橋」に、日本軍が赤十字社から捕虜に差し入れられる慰問品のパッケージを捕虜に渡す場面がありますが、実際には、そんなことは一度行われませんでした。物資不足の日本人は、こうした物資を自分で使ってしまったのです。現実的に描写すると劇映画にならないので、こういうソフトな表現が用いられたのでしょう。ビタミン不足で目が見えなくなった者や、日本兵が理由もなく銃撃して捕虜を殺した話など、悲惨な話はいくらでもあります。バターン死の行進では、倒れた米兵を介護しようとしたフィリピン女性の妊婦が日本兵に殺害される事件も起きています。
米軍や英軍にも変な人はいましたが、日本軍が組織的に国際法に違反する残虐行為をしたのに比べると、米英軍は個人的にそうした行為を行いました。
我々は過去の戦争について、精算を進めるべきです。土下座外交などと批判すべきではありません。いずれはアメリカ大統領が原爆投下を謝罪する日が来るはずです。オバマ政権にその兆候が見られますし、ヒットメーカーのジェームズ・キャメロン監督が原爆をテーマにした劇映画を作る計画があります。この作品で、アメリカ人の多くが、原爆という問題を再認識するかも知れません。こうした流れは、我々自身が作っていく必要があります。