カダフィ大佐の死の詳細
BBCが、謎が多いカダフィ大佐の死について分かったことを報じています。
ムアマール・カダフィ大佐(Col Muammar Gaddafi)の死亡の正確な状況は不明のままですが、以下の図が浮かび上がっています。
8月のトリポリ陥落のあと、前リビアの指導者の生誕地、シルト(Sirte)は、支持者の抵抗の最終的な孤立地帯の一つのままでした。
追放された指導者が国の南部にいるという推測にかかわらず、現在、彼は軍の最後の生き残りに守られて、シルトにいたことが明らかになりました。
過去2週間で、国家暫定評議会(NTC)軍は街への大規模な攻勢を開始し、カダフィ軍を海へ向けて押し戻すことに成功しました。
抵抗の最終的に重要な孤立地帯は第2地区、街の北西部であることが報告されました。
木曜日の夜中を回った時、支持者に連れられたカダフィ大佐が車列で脱走を試みると決意したようです。
この輸送隊には、軍司令官のアブ・バキル・ユネス・ジャブル(Abu Bakr Younis Jabr)と大佐の息子のムタシム(Mutassim)がおり、NTCの戦線を抜けて逃げようとしました。
現地時間午前8時30分頃、NATO軍の任務の一部として活動中のフランスの航空機が、街の西方約3〜4km(2マイル)の西の環状交差点近くにいる車列を攻撃しました。
ロイター通信は、暫定政権軍筋を引用し、少なくとも武装したピックアップトラック15台が空襲で破壊されたと言いました。
カダフィ大佐と少数の男性は何とか逃げ、近くのゴミで一杯の2本の大きな排水管に避難しました。
暫定政権軍はそれから包囲しました。戦闘員のサレム・バキール(Salem Bakeer)は「最初に、我々は対空機銃で撃ちましたが、役に立ちませんでした」とロイター通信に言いました。
「それから、我々は歩いて突入しました。あるカダフィ派の男がライフル銃を空中で振りながらやって来て、私の顔を見るとすぐに私に撃ち始めました」。
「カダフィが彼らに阻止するように言ったに違いありません。『私の主人がここにいる。私の主人がいる』と彼は言いました。『ムアマール・カダフィがいる。彼は負傷している』」。
カダフィ大佐は、木曜の正午頃に、まず重傷のまま捕まえられました。
アル・ジャジーラ・チャンネルは、暫定政権の兵士に手荒く扱われている間に、ぼうっとして、怪我をしているカダフィ大佐の身振りを放送しました。
次に展開した事件のつながりは不明のままです。
NTC首相、マームド・ジブリール(Mahmoud Jibril)は記者に「『法医学的報告』は大佐が銃創で死亡したと結論した」と言いました。
ジブリール氏は暫定政権軍が大佐を捕まえ、彼は抵抗せず、彼を車で連れ出したと言いました。
「車が走っている時、暫定政権軍とカダフィ軍の十字砲火に捉えられ、その中で彼は頭部に被弾しました」とジブリール氏は報告を引用して言いました。
「法医学者は、弾が暫定政権とカダフィ軍のどちらのものかを言うことは出来ません」。
ジブリール氏によれば、大佐は病院からほんの数分離れたところで死亡しました。
サレム・バキールは「我々が入って、カダフィを連れ出しました。彼は『何があった?。何があった?。どうなっている?』と言っていました。それから、我々は彼を連れて行き、車に乗せました」とロイター通信に言いました。
目撃者だと主張する男性はBBCに、彼がカダフィ大佐が口径9mmの銃で腹部を撃たれていたのを、現地時間12時30分頃に見たと言いました。
NTC当局、アブデル・マジッド・ムレグタ(Abdel Majid Mlegta)はカダフィは両脚に負傷していたとロイター通信に言いました。
「彼は頭部も撃たれていました」と彼は言いました。「彼のグループには沢山の発砲があり、彼は死にました」。
粒子が荒いカダフィの死体のビデオ映像は、すばやく暫定政権軍の戦闘員の間に出回り始めました。
別の地面を引きずられる死体の写真があとで、アル・ジャジーラによって放送されました。
暫定政権の情報大臣はカダフィ大佐の死体がミスラタへ運ばれたとロイター通信に言いました。
現地時間16時30分、ジブリール氏はカダフィ大佐が死んだというニュースを確認し、「我々は長いことこの時を待っていました。ムアマール・カダフィが殺されました」と言いました。
期待して読みましたが、状況は完全には分かりませんでした。
まず、シルト西部には環状交差点が2ヶ所あります。街から3〜4km離れているのは1ヶ所なので、多分、ここでカダフィの車列が攻撃を受けたと考えられます(kmzファイルはこちら)。 この付近の配水管で捕まったのです。
空爆を行ったのはフランス軍の航空機ですが、アメリカの報道では、アメリカの無人攻撃機だとも言われているようです。私はこれはパキスタンなどでの無人機の活動から連想したもので、正確ではないと考えます。
大佐の部下が主人がいると暫定政権軍に言ったのは、すでに彼が相当な負傷をしていて、治療して欲しいという意味だったようにも受け取れます。空爆と銃撃のどちらかは分かりませんが、大佐が負傷する可能性は十分にありました。突入までにかなりの銃弾が撃たれているようだからです。配水管から出た時点で、カダフィ大佐は状況を掌握できていないことから、意識が朦朧としていたと考えられます。
私が見たニュース映像では、カダフィを運ぶ兵士が群衆に「殺さないで」と叫んでいる字幕がついていました。怒り狂った群衆が集まり、カダフィをリンチにしようとしたようです。
目撃者が9mm銃で撃たれたという理由は、銃撃の現場を見たという意味なのか、当て推量で9mmと言っているのかが気になります。怪我の外観から使用した銃の口径までは分かりません。9mmの拳銃は軍用に広く使われています。BBCのテレビニュースには、カダフィが腹を撃たれたと言ったり、自分が撃ったという兵士が出ていました。夜のニュースでは、兵士がカダフィを処刑したという目撃証言も紹介していました。
カダフィが空爆を受けた場所から病院までは、車でなら大した時間はかかりません。病院から数分の場所がどこなのかは不明です。
目撃証言とビデオ映像を組み合わせても、カダフィの最期は明確にはなりません。現場で大佐を処刑したのなら、その後、生きたまま彼を運ぶ事態にはなりません。現場で死を確認するはずです。負傷した大佐を運搬した先で処刑した可能性もありますが、あの群衆に囲まれた状態で発砲するのは、かなり危険です。私は負傷したカダフィが混乱の中でリンチにあい、ショックか出血多量で死亡したと想像しますが、確信は持てません。
いずれにしても、好ましい結末ではありませんでした。拘束した時点で、直ちに病院へ搬送し、治療を受けさせるのがジュネーブ条約が定めるやり方です。
宗教的に復讐を容認する風土がイスラム国にはあります。サダム・フセインの死刑もひどいやり方でしたが、リビアでも繰り返されたということです。これはイスラム国が脱却すべき障壁の一つです。
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