災害派遣で自衛隊礼賛の気配
ウォール・ストリート・ジャーナルが「存在感を高める自衛隊−震災危機で」という記事を報じたことを今朝知りました。
これまでは憲法に縛られていた自衛隊が、国民の支持を得る絶好の機会だという筋書きです。しかし、アメリカの関心は日米の軍事関係にあるようです。「災害救援活動が成功すれば、自衛隊は、米軍との協力拡大を含め、役割拡大を要求しやすくなる」という国際問題研究所の日本専門家、マイケル・グリーン氏の意見を紹介しています。要するに、アメリカの本音はこんなところかも知れません。自分の軍事活動を、日本が適当なときに助けてくれないかとか、できれば完全に支援してくれると嬉しいという考え方です。
驚いたことに、かつては自衛隊に批判的だった週刊誌なども、今回の震災では自衛隊を絶賛しました。昨日紹介した週刊ポストは、自衛官を明確に「軍人」と表記して、完全な軍隊扱いをしているほどです。小泉政権期に、かつては「日米安保体制」などと書かれた日米安全保障条約は、「日米同盟」という、より堅固な関係を連想させる言葉に変わりました。その後も、災害などに自衛隊が出動することがあり、国民は次第に自衛隊を「災害時に頼れる存在」とみなすようになりました。東日本大震災は、こういう自衛隊のイメージを固定化したように思われます。
しかし、原子炉に放水した自衛隊、消防、機動隊に対する評価を見ると、軽薄な印象を受けました。ハイパー消防隊の指揮官の記者会見での涙は無意識に出たものと思われますが、石原慎太郎都知事が隊員と会った時の涙は芝居がかっていました。でも、消防隊の隊員はそれを感激していると報じた記事を読み、現場の人たちも、こういう感覚なのかと驚かされました。私が消防隊員なら、知事の態度に疑問を感じたことでしょう。なぜなら、原発には東京電力の社員も含めて、まだ大勢の人たちが被曝の危険にさらされながら作業をしています。短時間、現場に入った人たちだけを評価するのは妥当と思えません。
自分が自衛官なら、変に自衛隊を評価する人は警戒します。こんな人たちは自衛隊に過剰な期待を抱いて何を要求してくるか分からないと思えるからです。自衛隊にはできないことも沢山あります。無理な要求は、期待されないよりも大変だと思うのです。太平洋戦争では、不敗の日本軍という神話を守るために、大勢が最前線で玉砕を強いられたことを忘れるべきではありません。
無理な相談というのは、日米同盟の話です。当サイトでも、様々な米軍施設について紹介してきましたが、国土の広いアメリカは、何カ所もの兵器実験場を持ち、莫大な費用をかけて兵器を研究しています。そんなアメリカと一緒に走れば、日本はすぐに息切れして、ついていけなくなります。自分の力を考えながら、どうアメリカと関わっていくかを考えるべきであり、それは災害派遣時の自衛官の姿とは関係のない世界です。
ところで、昨日、こんな本を書店で見かけてショックを受けました。
なぜ、日本の軍事本にはこんな軽薄な表紙の本が多いのかが理解できません。しかも、この本には自衛隊高官OBが名前を連ねているのです。この種の本に自衛官が関係することは自粛して欲しいと思います。これが自衛隊であり、軍事問題を考えることであるという誤解が蔓延する恐れがあります。
内心、こういう軽薄な方向に走る傾向は止められないかも知れないという危惧を、私は持っています。
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